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2012年10月08日

みきえさんのこと

死んだとばかり 言い聞かされて来ていた 「生みの母」 が 、 
実は 生きていた。

これが わかったのは、 大学生になってからだった。

学生寮に その母なる人が 直接訪ねてきて
 「私が母なのよ」 と 告げたからだ。

その後 2度ほど 会う機会が あったが、 
また音信不通となり、 
結局は 今に 至ってしまった。 

実はこれ、 ウリナンピョン(我男便=夫)の 話しである。



みきえさんのこと


リゾナーレ八ヶ岳に 行ってきました。



お盆の頃や、 義父の命日のころになると
夫の生みの母のことが ふうっと 気にかかってしまう。

「今頃 どうしているかしらねぇ・・・」

と、 なにげに 夫に 水を向けるのだが 
そのたびに 夫は、
 
「さあ どうかな・・・」 

と つぶやいたまま 物思いにふけってしまうのだった。

みきえさんのこと




それが なんと、 
本当に ビックリしたのだが、 
母の再婚相手の夫なる人から 突然 手紙が 送られて来た。

今年の夏のことだった。

手紙で 再婚相手の夫は 妻を 「みきえ様」と 書き記していた。 
みきえ様は 実は、 今年の 正月までは 存命されていたこと、 しかし この1月に 86歳で亡くなられたこと。 みきえ様との間には 子どもがいないため、 事後処理上 一人息子である あなた様に どうしてもお願いごとがあり 連絡を差し上げた旨 の まことに ていねいで簡潔な 手紙であった。

あまりにも 青天へきれきな事態に
夫と私は、 しばらく ものがいえなかった。
天国と 地獄が いっぺんに やってきた感じだった。


みきえさんのこと




9月に 入ってから、 ようやく 私たち夫婦は、 手紙の住所を尋ねて  神奈川にむかった。

せめて もう少し早く 知らせてもらえたら・・

恨みも 多少混じった 無念の気持ちを 抱いたままの、 
重苦しい 旅立ちであった。


みきえさんのこと




神奈川とはいえ、 横浜からはかなり遠く、 むしろ富士山に近い、 
たぬきや猪、時には熊も出るという 山すそに 建てられた、 
しかし ちょっとしゃれた感じの家に 私たちは居た。
後でわかったことだが、 みきえさんは この地が 一目で気に入り、 家の間取りや 内装までも ほとんど 自身が 決められたのだそうだ。

みきえさんの夫は 手紙の印象 そのままに、 
物腰が丁寧で 品があり、 それでいてどこか飄々として とても きさくな方だった。 
顔立ちも 端整でいらっしゃる。 
聞くと ウリナンピョンとは 6歳しか 年が離れていないのだった。
つまり 妻のみきえさんより 15歳 年下 ということになる。

静かに 話されるが、 途切れることなく なめらかに お話をしてくださる。
みきえさんとの出会いから、 その後の 二人の 仲むつまじい暮らしぶりを
エピソードをまじえて よどみなく 話し足りないかのように 聞かせてくださる。

これ全編 言ってしまえば おのろけなのだけれど、 
かの 夫の君が 語ると 上品で、 一編の 絵巻き物でも みせられているような かんじだった。


みきえさんのこと



みきえさんは 1925年(大正15年)生まれである。
当時は 親の言いなりのまま 見合い結婚するのが あたりまえの時代であった。
結婚式当日になって はじめて 両者 ご対面なんてことも ざらにあったという。


そんな時代の中では 離婚自体も かなりの困難を 伴なうものであったであろうことは 想像に難くないのだが、 そのうえ 恋愛の末、 再婚などともなると、 周囲の目は 相当に 厳しいものが あったにちがいない。 
ましてや お相手が 15歳も年下の学生さん とくるのだから、 なおさらのことだ。 
かれの家族の 驚愕振りは 如何ばかりであっただろうか?

しかし 話を聞く限り、
二人とも 周囲の目を 意に介することも無く 恋を成就させていったようだ。

アルバムの みきえさんは、 とても若々しく、 目鼻立ちのはっきりした 相当な美人だ。 
初対面のとき 彼は みきえさんを まだ女学生と 思ったそうだから、
よほど 若く見える人だったのだろう。 
実際 二人並んだ写真を見ても 年齢差をまったく感じさせなかった。

写真の中の みきえさんは、 着物姿にしても 洋装になっても、 とてもモダンで おしゃれだ。  
きりっとした ポーズは 自我をしっかり もった女性のようにみえる。 

みきえさんの夫の話ぶりから 見えてくる 二人の姿を 想像すると、 おおよそ こんな感じだった。 

天真爛漫で 好き嫌いのはっきりした妻に 翻弄されながらも、 
それが いとおしくて いとおしくて たまらない夫。 
妻の望むことなら どんなことでも してあげたい。 
そうすることが 夫の喜びであり また 幸せにつながるのだから。

大会社の 経理を 淡々と 勤め上げてきた かれの唯一の 楽しみは、 
おそらく みきえさんであったに違いない。




みきえさんのこと



アジュンマは、 若い頃 出家前までの瀬戸内晴美の小説に 夢中になった。 
瀬戸内晴美の 生き方自体もそうだったが、 彼女の小説に登場する 女性たちの生き方は アジュンマの 憧れだった。 

田村俊子を始めとし、 岡本かの子、 伊藤野枝、 管野スガ、 金子文子等々 
奔放に 自らの愛を貫き、 苦悩しながらも 時代に逆らって生きていった女たちの
自我を 確立した姿に感動し、 
それは すなわち アジュンマの 生きていく道だった。
 
結果で言えば、 見るも無残な大敗を喫し、
残り火で生きてきたともいえる、 
わが人生。

そんな 情けない人生の 真っ最中に、
みきえさんの 出現は、
雷にでも打たれたかのような 衝撃だった。

あれほど 憧れとした かの 女性たちの 生き方を、 
我が姑は
さも なんなく、
いとも あっさり、
当たり前のように、 
さらりと 実践し、
生き抜いたのだったから!!


みきえさんのこと




戦前、 みきえさんの実家は 親族で経営する印刷会社だったそうである。
ところが、空襲で 工場が焼け やむなく 田舎に引っ越した。
女学校にも通った みきえさんは、 最初の 3年間という 短い結婚生活で 男の子を 一人 授かった。 
離婚後 その男の子は 父方で 育てられた。

そのあと 少なくとも 10年間の間に、  2度の恋愛を経て
(アルバムには それぞれとの ツーショットの写真が きれいに おさめられていた。) 
35歳のとき、 20歳の大学生と 運命的な 出会いをすることとなった。
おそらく、 彼女にぴったりの お相手だったに違いない。
いつまでも 恋人のような結婚生活を 送り、
晩年は、 夫のかいがいしい介護をうけながら、 やすらかに 旅立っていった。
享年 86歳

大正生まれの 名も無き女性の みごとな 一生である。


みきえさんのこと



しかし アジュンマは みきえさんの かの夫に どうしても 確認したいことがあった。

みきえさんは 腹を痛めて生んだ 分身である たった一人の息子に会いたくて、 涙に濡れることは 無かったのか と。
 
かの 夫君は  何の躊躇も無く あっさりと、
「少なくとも 私の前でも 人前でも、 いっさい 口に出すことは無かったですね。
むしろ 水を向けると いやがりましてねぇ」 と 答えたのだった。

アジュンマは ちょっと 安堵(というのも変な言い方だが)の気持ちも手伝って
「あ~ それでは、 みきえさんという方は、 全然 演歌の世界では なかったのですね?」
と 口を滑らせてしまった。 
演歌という言葉以外 適切な言葉が 出なかったのだ。

みきえさんは、ぜんぜん 演歌なんて、 そんなところは 無い人でしたよ。 
こうして かの夫も また さらりと つづいてくれる。


みきえさんのこと




しかし 口には出さずとも どれほど 会いたかっただろうか? 
心の奥の奥に そのまま 封印するしかなかった 母の痛みが 逆に伝わってきて、 
ボディブローのように じわりと 効いてくる。
 
だが それよりも もっと 複雑なのは おそらく 「一人息子」 の方だろう・・・

アジュンマも これ以上 語る言葉が 見つからない


みきえさんのこと




一度も出会うことの無かった 姑。

今は 自由に あちこち 飛んで行けるだろうから
沖縄の息子のところにも 気兼ねなく 来て欲しい、
  
そう願わずには いられない。



みきえさんのこと



 
合 掌




このブログを みきえさんに捧ぐ


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Posted by アジュンマふきこ at 21:26│Comments(6)がらくた話
この記事へのコメント
こんばんは☆彡

みきえ様の綺麗なこと。

小説みたいなお話ですね。

息子さんとしては複雑かも知れないけど
母親がしあわせだったから
納得しているのでは?
Posted by minminminmin at 2012年10月09日 00:16
minminさん こんにちは^^
本当に きれいですよねぇ。

今頃 みきえさん、 私たちが こんな会話しているのをみて
なんて おもっているかしらね?
Posted by アジュンマふきこアジュンマふきこ at 2012年10月09日 20:54
びっくりです。でもわかってよかった。まご・ひまご・と
いま・・・・たくさんいるのは

きれいな、おかあさんがいたから
Posted by 秋田こまち at 2012年10月14日 20:53
秋田こまちさん こんにちは。
子孫が 増えていくというのは こういうことなんですね。

もうちょっと早ければ 孫もひ孫も 見せてあげられたのに・・・
それが 残念で・・ どうしても 悔やまれますね。
Posted by アジュンマ ふきこ at 2012年10月15日 21:26
郵便が届く、という事は
住所が分かっていた、という事でしょうか?

なんとも・・・
演歌のような?泣き濡れて
着ては貰えぬセーターを編んでいたりはせず
(ちょっと違うか?)
凛と潔い人だったのでしょうね
きっと、年老いた自分を見せたくなかったのでしょう?
悔やまれる事はないですよ
きっと、今はお孫さんもひ孫さんも見て下さっている
ことと思いますよ
Posted by lalala at 2012年11月03日 17:52
きみえさんが 亡くなられてから、 ご主人が 戸籍を追っていって、 
やっと 探しあててくださいました。 かなり 苦労されたようです。
とても ご主人には 感謝しております。

生前、 ご主人が、 「何とか探し出して 連絡しましょうか?」 と 
みきえさんに 言っても  断られたそうです・・・

心に 固く 決めたものが あったのでしょうね・・・
Posted by アジュンマ ふきこ at 2012年11月03日 18:42
 
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