2011年10月08日

母の思い出 1

 
 母は あまり 子供を 怒らない人だった。

 私が6・7歳で 妹が まだ3・4歳のころだったと思う。 夕ご飯の ちゃぶ台にすわって 母が ごはんと 味噌汁を よそってくれるのを待っていた時のことだった。 妹が 待ちきれなくて 味噌汁のお椀を上に ひっくり返して 箸で トントンと つついていた。 すると パリンと ベークライト製のお椀の 底がぬけて きれいに穴が 開いてしまったのだった。

母の思い出 1


 
 その頃の お椀は 漆ぬりのお椀から 薄いベークライト製のお椀に 変わっていった時代だった。 ベークライトというのは よく父が 時代の変化に 感心しながらも 新しい 文化の出現を どこか 快く思わない口ぶりで ベークライトと 何べんも 口にしていたので 今でも 覚えている。 

 おそらく 合成樹脂のことではないかと思う。 薄くて 軽いが 漆塗りのように かけたり はがれたり 傷ついたり しなくて、 色も 形も おもいどおりに かたち作ることのできる ハイカラなものであった。 時代の変化と 新しい文化を 十分に 感じさせるもの だったと思う。


 1956、7年ごろの話である。
 妹は トントンしただけなのに、 と びっくりした顔を していた。 私は それが 信じられなくて、 割れる訳がないでしょ、 こんな位でと 言いながら 勢いで 自分のお椀を ドンドンと やってみた。 すると 私のお椀も なんと 簡単に 見事に パリンとわれてしまったではないか。 私は ものすごく びっくりして 肝がつぶれてしまった。 ありえないことだった。 唖然として 妹も 驚いている。 
 
 姉が その時 その場にいたのか いなかったのか そのあとから 席に着いたものやら 記憶は定かではないが、 やっぱり おんなじように こんな事で 割れるわけがないでしょ、 と ものすごい剣幕で 自分の お椀を やろうとしたので あわてて 止めたことを 覚えている。 私が なんか言って さらに 姉が怒って 口げんかになった。

母の思い出 1




 だが不思議なのは この時 母が 同じちゃぶ台に 座っていたのに   私たちを 怒ったという 記憶が ないのだ。 むしろ 普通の感じで 「そだごどせば 割れるべ。 あだガダ(あなたたち) やめれ」 と 言ったきり あとは何も 言わなかったと思う。 こちらを 見ても いなかったような 気がする。  
 その時の 母の顔も 思い出せない。 ただ 背中を 丸めて ご飯を よそっていた姿が ある。

 お椀が 一度に 2個も 割れて それで 3人姉妹が 喧嘩していたというのに、なぜ 黙っていたのだろうか。 とても 不思議な 気がする。 

そのあと 姉が ものすごい形相で 私を睨みつけ、 私は 私で 少し うつむき加減に ちらっと 妹をみたら 妹は妹で しゅんとしていた。 あの時 母は なんで怒らなかったのだろうか? 

 父は 後から 席に着いたが またベークライトの安っぽさについて けなしていた。 お椀が 2個も割れているのに 平和的に 過ぎたことが 今でも不思議だ。 ずっと 心にひっかかっている。

母の思い出 1



 いや。 平和なんかじゃなくて、 実は 母はその時 それ以上の 何か とても重大なことを 心に 抱えていたのではないか。 そう思える ふしもある。 
 近頃 その思いが 確信に 変わりつつある。  
 



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Posted by アジュンマふきこ at 23:20│Comments(1)過ぎ去りし 日々
この記事へのコメント
読んでいるとやさしい気持ちに^^お母さんに電話しなくちゃ(__) すごく日本語の勉強になりますあと東北弁も(^-^;
Posted by メイカ at 2011年10月15日 18:42
 
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