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Posted by TI-DA at

2014年12月29日

アジュンマの2014年

車のダッシュボードに ネズミが住み着いてしまって ちょっと鬱です。
とりあえず デスモアという駆除剤を入れて 食べてもらっていますが、
効果が出るといいです。

年の瀬も押し詰まって 残りわずかとなりました。
皆さまはいかがお過ごしでしょうか?

アジュンマふきこの2014年を 忘れないよう
ちょっと書いておきたいと思います。

1 携帯をスマホに変えたのと同時に デジカメが壊れて ブログへの写真のアップが うまく行かない。

2 沖縄大学で 新城俊昭先生の「沖縄の歴史」の講座 前期を受けた。

3 父と母の法要で 久しぶりに秋田に帰る。ついでに花岡事件のあった大館や、白神山地の鰺ヶ沢などに回った。

4 坐骨神経がだんだんひどくなり動きが老人化する

5 町内会の役員が回って来て あれこれと 忙しかった。 盆踊りを10年以上ぶりに踊った。

6 沖縄戦に朝鮮人軍夫が動員された実態を調べるため 図書、資料集めに奔走した。国会図書館に初めて行った。
  阿嘉、座間味島にも行った。

7 陶芸は全くできなかった。韓国語教室は週2回に増え 結構 時間がさかれた。

8 韓国からのお客さんが度々来て 数日 家に泊めた。 一人から3人。 時には5人の時もあった。

9 辺野古新基地のボーリング調査が始まり、たびたび現地に通った。後半は選挙の応援もした。

 *****



今年2月 全羅道 白羊山


韓国から戻って来たのが今年なのに ずっと昔のことのように思われます。
後半はやはりばてました。
来年は 体力の回復を第1に 自分のペースを守って 無理のないようにやっていきたいと思っています。
ブログの更新もしながら。

それでは皆様 良いお年を。
来年また お会いしましょう。



  


Posted by アジュンマふきこ at 09:04Comments(1)がらくた話

2014年03月11日

3月11日の記事

沖縄に帰って来て すぐ翌々日に 
なんでも息子が 沖縄出張だとか言って
嫁と孫も 一緒に来ていたので
息をつくまもなく にぎやかに過ごしました。
おかげで 少し 韓国病から 立ち直れているようです。

のせいか
きょうは 久しぶりに 
「文句たれ」の アジュンマを 取り戻しました。





スーパーの「レジ係り」って 
どうして あんなに 馬鹿丁寧に
マイバックに収まるように 
ああでもない こうでもないと 
入れなおしたりして 品物を入れてあげるんですかね?
しかも ひとつづ 薄いビニール袋に入れて 
本当に 馬鹿丁寧に
親切にやってあげてるんです。
 
大きさも形も様々なマイバックに
いかに きれいに収まるか 懲りすぎるくらい 凝って
おそらく そこんところに 快感を感じながら 
職務を全うしているんでしょうね。

おかげで 3番目に並んで待っているアジュンマとしては イライラです。
これって 沖縄文化ですかね?

東京の娘や息子のところに行っても
スーパーでは みんな 自分のことは自分でしています。
レジはレジの仕事、 
客は 黙々と 自分で買った品物を マイバックに入れて 持ち帰ります。



親は 頭の形を気にしているが 本人は 気にしていない。


沖縄の こうしたレジの流れの悪さに 
アジュンマのように 不満を持つ人もいるのか
「袋詰めマイセルフ」のレジを 特別設けているスーパーもあったりして
今日は それを見つけて
しめしめと並んだのは いいのですが
全然 役立たずのレジでした。

いちいち 一人一人に
手を前に組んで お辞儀をしながら
「当店のこのレジは 袋詰めマイセルフで お願いしていますが よろしいでしょうか?」
と これまた 馬鹿丁寧に聞くんです。
(ダメと 言う人がいるんですかね)
それから またもや ひとつひとつの品物を 薄いビニール袋に入れて 
見た目美しく きれいに
かごに また ああでもない こうでもないと
きちんと 並べ直していくんです。
これって マイバックに入れるのと全く変わらない作業でしょう‼
そして さらに驚いたのは 最後 そのかごを マイセルフ用の整理台の方まで
わざわざ 持っていってあげる 「おまけ」 まであるんです。

むしろ 普通の馬鹿丁寧レジの方に並んだ方が まだましでした。 



ちなみに 犬も 人間も みな ♀


アジュンマ 
この沖縄レジ文化、
なかなか 馴染めませんね。
前からも感じていましたが
韓国から 帰ってきたせいか
なお一層感じます。

レジなんか アメリカ的に どんどんローラー式に流れていく方式ですからね。
乱暴ぽくもありますが
サッサとしていて 逆に さっぱりします。

それからよく見かけた光景ですが
食堂なんかで あとから注文した人が 先に食べたりすると
もう大声で 抗議しますからね。

韓国の 「パリパリ文化」(=なんでも早く早く)は
否定的に 言われがちですが
アジュンマとしては この点 とても 性に合っていましたね。





大量にもらった韓国のりを 佃煮にしました。











  


Posted by アジュンマふきこ at 10:38Comments(1)ケチつけ

2014年03月02日

沖縄に 戻ってきました

イチゴ 2月25日 仁川空港にて。

20日に ナンピョンが 沖縄から来てからというもの
怒涛のごとく  
なにがなんだか 
あたふたと 韓国を引き上げ
あっという間に 沖縄の帰途についてしまいました。 

このブログは 
沖縄へ帰る道すがら 仁川空港で書いています。
あいにく外は 霧がすごくて
このまま 飛行機が 飛べるのかなあと 心配になっています。


韓国最後の 5日間。
お別れの寂しさを感じるいとまもなく
うちら夫婦共通の友人たちと 
最後の挨拶を兼ねた
一泊旅行や 食事会 などなどで 
あっという間でした。
荷物の整理は その合間に何とか やり終えて 
やっと 今日にこぎつけた感じです。
そのためか なんだか まだ沖縄に帰るという実感が 湧いてきません。



光州 東側にある 無等山(무등산)の朝日を眺めながら 
中腹の古寺にて おにぎり朝食 


光州の一泊旅行を すべて計画して 招待してくださった○○さんたち。
ナンピョンの 「5.18抗戦の現場を 一度は 訪れてみたい」
という希望をかなえてくださったのです。

小さい小旅行でしたが 様々な人たちとの出会いもありました。

20年間 キロギアッパ(子供を小さいうちから海外留学に送り 妻も一緒に ついていく。
夫はひたすら 働いて お金を送り続けるのみ)
をしていた大学教授だった方が、今は引退して 
夫婦仲良く畑を耕しながら スローライフを おくっていらっしゃる、
そんな方もいました。

建築会社などしていて 羽振りもよく 地域の親分肌風のおっさんは 
高麗時代、国防部長官級の祖先をもつ 名家の方でしたが
5.18関連のために 数年前までも 海外渡航禁止だったそうです。
30年間も そんな状態に置かれたなんて 驚きです。



スローライフの お宅。 
ビニールハウスで 無農薬栽培、 野菜はほとんど自給自足。
太陽熱と地熱を利用した省エネ。 
麦を醗酵させた甘い飲み物や コーヒーをごちそうになりました。



それから 沖縄で 韓国語を教えてくれた 元留学生たちとの久しぶりの食事会。

また 沖縄の我が家に 11年前 ホームステイに きた元ホンイク大生の 3人組。
今や 農協に入ってよきパパになっていたり 
貿易会社で活躍していたり、 
やっと来月、結婚が決まったり
それぞれの11年を送りながらも 
ずっと 私たち夫婦との親交が 続いています。



あれから 10年以上たちました。


それから ヨンヤンに行ったとき お世話になった スンミさんやヒジャ先生などとも会って
東大門の タッカンマリ(にわとり一羽 水炊き)店で 
韓国最後の食事をしたのも つい昨日のことです。



東大門 タッカンマリ通りにある 明洞タッカンマリ店


ケチで どこか単純な 家主も
最後 部屋を出るときには にこにこして
無事に 保証金を 戻してくれました。
シャワーがぬるかったり 
暖房が 悪いというのは
私が沖縄からきたために 特別寒がり屋で
そうなんだということに
いつのまにか なっていました。
前から 「オンチョン」 がどうのこうのと言っていましたが
沖縄は何か オンチョン ということらしいです。
そのまま訳すと 「温泉」ですが 
温帯地域(実際は亜熱帯ですが)とかいう意味もあるのでしょうか?

まあ 家主とのバトルは 本気をだしつつも
どこか楽しいものがありましたがね。



光州近隣にある ソシェ園
自然を生かした 庭園。 民間の庭園の原型と言われている。


イチゴ 2月28日 沖縄にて

授業で 시원섭섭하다 という言葉を習いましたが
今は 丁度そんな感じです。
ホッとすると同時に 名残惜しいという 複雑な気持ちのことです。

一通り 学校で習える 韓国語は 最後まで習い終わりました。
もちろん 実際に使えるというようなところまでは なかなか 到達していませんが
まあ 一区切り やり終えたなあ、という感じです。

後半は 本当に 韓国を楽しみました。
何べんも 旅行に行ったし 
ミュージカルや映画もずいぶん見たし、 
合間にボランティアも。
それから ソウルの 町めぐりにも こまめに参加したなあ、とおもいます。



屋根に乗っかている 動物みたいなの
やっとわかりました。
三蔵法師の ご一行なんだそうです。


そうそう 週一回 韓国語・日本語の交換学習会も続けました。
ちょうど 6か月というのは 私にとっては いい期間だったような気がします。
実際は 去年の3月から 3か月間韓国で過ごして 中3か月を置いて 
また6か月 韓国で過ごしたので
ちょうど 約1年間 韓国と かかわってきた感じになります。

実際韓国に来てみて 意外だったのは
韓国に来ている日本人は 本当に 人 さまざまでした。
看護婦さんをやめて アルバイトしながら 気楽に 韓国生活を楽しんでいる人もいれば
韓国人の彼氏と出会って 結婚まで進みそうな人もいます。
目的は伺い知れないけれど 韓国語を学びながら 
夫婦でエンジョイしていらっしゃる方も います。
若い人もいれば 私のようなアジュンマや アジョッシもいます。
老若男女問わず 韓国には 何か魅せられるものがあるんですね。



景福宮を ずっと奥まで行って 出たところすぐに 青瓦台がありました。


韓国留学の目的は? 
と問われると はたと 答えに迷います。
だから 私も 敢えて 人様に 深く たずねませんでした。
目的がなくても 行ける国
行きたいから 行く国
そしてまた行きたくなる国、
それが 韓国かもしれませんね。

アジュンマもこの歳で よくもまあと
ずいぶん 驚かれたり、 お褒めにあずかりもしましたが
とんでもない、
単なる 「盲蛇に怖じず」
簡単に言えば 無鉄砲さのなせる業であり、
若いころから したいと思えば
後先も考えずに 実行してしまう アジュンマの単純さが
今回の韓国行きでした。
それを許してくれる ナンピョンも すごいものがありますが
ひたすら 感謝です。

「お父さんを 一人にするなんて」、という非難を 押し込んで 
この母を 理解してくれた 子供たちにも もちろん 感謝です。

いつか こうした 子供たち家族も含めて
一家総勢で 韓国旅行に 出向きたいなあと思います。




ソウルまちめぐりで訪れた 景福宮
ずいぶん建物が 再建されていました。


イチゴ 3月1日 
仁川空港で 書き始めた文章が
かんたんに 終わらなくて

気持ちが 言葉にならない もどかしさもあって
今日まで のびのびになっていました。

まだここが沖縄であるという実感が
伴っていないようです。

昨日のことです。
パン屋さんで 食パンを2.5センチの厚さに 
スライスしてもらおうとしたときに
一瞬 心の中で 韓国語で 組み立てていました。

そして 気が付きました。
あっ、 日本語で言っていいんだ! と。
それで 日本語で お願いした後も
なんだかぎこちなくて
自分の 言葉が 間違っていないか 一瞬 チェックしていた自分がいました。
日本語なのに・・。

韓国で生活していた時 
自分では気が付きませんでしたが 
いつの間にか
こんな癖がついていたんでしょうね。

日本語が使えて ホッとしたというよりも
なんだか もう生活の中で 
韓国語を使えない寂しさのようなものが こみあげてきました。

こうして 少しずつ 沖縄の生活に戻っていくのでしょうか。



韓国最後の日に泊まった 孝宣堂 (北村の韓屋)
以前 このブログで シャワーの調子がいまいちと書きましたが
今回は 完全に 良くなっていました。



  


Posted by アジュンマふきこ at 12:32Comments(2)韓国語学留学中

2014年02月19日

発音 やっぱり 大事です。

道を間違えて教えられたのは 
訊ねた私の発音のせいだと言われて 
ちょっと 萎縮していましたが、

この頃 発音矯正のクラスに行っているおかげで
前向きになっています。



今日の写真は 西村(景福宮の西側、 仁王山のふもと)の ワーキングツアー。
 朝鮮王朝時代に 主に 絵や 書 音楽などの分野の芸術家や 
建築 工芸などの技術者、などが多く住んでいました



なるほど納得! ということが多くて
ずいぶん 勉強になっています。

舌の位置や 唇の形、 口の中のどの部分を 振動させて 音にするか、
息の出し方まで 説明を受けるので 
耳で聞いてまねができないタイプの アジュンマとしては
理屈がそれなりに 役に立って ずいぶん理解できました。



ハングルの創始者 世宗大王の 生まれた所でもある。


日本人は 「어 」と「오」の区別を はっきりしないで 発音する傾向にあるようで
たしかに アジュンマも そうでした。
日本語にすると どちらも 「お」なのですが  韓国語は はっきり違います。 
「우」(う)や 「유」(ゆ)、「요」(よ)を あいまいに 言うのも日本人の特徴だそうです。
はっきり 息を前に出して 口をすぼめて 発音しないといけないのですが。



しゃれた ギャラリーや ミュージアムが たくさん集まっているが
昔ながらの 韓屋も そっくり残っているのも 西村の 特徴。


アジュンマのように長いこと韓国語をやってしまっていると なかなか直すのがたいへんになります。
一つ一つ ゆっくり言うときには それなりに 言えるのですが 
普通に話すときは 元の木阿弥です。
これも 毎日のたゆまない訓練で なおしていくしかありませんね。



今 絶賛上映中の 超笑える 「수상한 그녀」(奇妙な彼女) の 撮影現場。
古韻堂(고인당) という名前で民宿もしています。


それで思ったのですが
韓国語の初歩の時にあまり発音にこだわると 
勉強が嫌になりますが 
中級ぐらいからは 発音の練習を 授業の中で 15分位でも設けて 
継続してやるのが良いのではないかと思いました。



こちらは 「大統領の理髪師」 という映画の 撮影現場。


沖縄に 一度 グリーン学園の 先生を招待して 
みんなにも この授業を経験してもらえたらなあと
痛切に思うこの頃です。



詩集 「空と風と星と詩」 や 「序詩」 などで有名な尹東柱が
 延世大に通っていた当時の 下宿跡


ところで 昨日で アジュンマの授業は すべて終了しました。
大学付属の語学堂と違って、私立の語学院は 先生個人の力量で、
たとえ 同じテキストを利用しても 
授業の質はずいぶん異なります。



ここの景色は 有名な墨絵になっているようです。


私たちの先生は とにかく ものすごくうまかったですね。
特に 授業への導入がうまくて 私たちに 色々質問を投げかけて 
主題にだんだん近づけていくようにします。

おかげで 私たち生徒は その日の主題に関連した考えや 語彙になじみながら
無理なく 入っていけます。

それに 私たちの先生は 自身の発言は 
あくまで 生徒の発言を誘導するためのものとして
短く切り上げ
どんどん 私たちに発言させてしまう、
というテクニックが ずば抜けていましたね。

やはり思うのですが 教師に
向いている人と そうでない人がいるということですね。



積み上げている石は 実は オンドルの石だそうです。


という話をしていたら 丁度さっき 携帯電話の充電が切れたので 
(通信費が 充電式になっている電話) お店にいってきました。
その時 自分の携帯番号を 言わなくちゃいけなかったのですが
発音に気をつけて 口を きっちり動かして ちゃんと言ったら
なんと たった一回で 通じました。

やったあ‼ 
です。



時代劇で 王などが 天に向かって 祈っている 場面がありますが
朝鮮王朝時代、 ここがその場所でした


そればかりじゃありません。
郵便局から 荷物を送るために タクシーを電話でよびました。
相手方に こちらの住所を 番地まで 伝えないといけないのですが
これまた 気をつけて発音したら 
なんと 一回で通じました。
2レンチャンです‼

我ながら 驚きましたね。

6か月もいたのに 見るべき成果もなかったなあ~と 
思っていた矢先でしたので
思わぬところで 感動しました。 
やっと すこし 胸を 撫で下ろした所です。



西村は 穴場です。 見どころ満載なのに 落ち着いた 静かな町です。
昔の面影と 現代がうまく調和して 北村とは ちょっとちがった 趣があります。



  


Posted by アジュンマふきこ at 22:46Comments(0)韓国語学留学中

2014年02月12日

4D 冬の王国

たった一か月間だけ 同じクラスだったのに 妙に気が合って
帰る前に もう一度会おうと
映画一緒に見てきました。

韓国にいる間 一度 経験したかった 4Ⅾ、
とうとう 念願かないました。
なんてったって ディズニー映画の 겨울 왕국(=冬の王国、邦画名は おそらく「アナと雪の女王」)
これ 見るしかないでしょう。
4Ⅾ すごいものがありますね。
アバターで経験した3Ⅾとは ダントツの差です。
椅子が動いたり ゆれたり、 風が吹いたり 水しぶきがかかったりと まあ 忙しく、
楽しすぎて 驚きの連続です。





しかし 何よりも もっとすごいのは
その立体感‼ アバターとは比べ物になりませんでした
目の前に 雪が降ってきたり 
何かが 勢いよく飛んできたり 突っ込んでくるんです。
そのたびに ワアとかキャアとか 抱き付いていた 隣りのカップルにもまして
アジュンマは一人で 騒いでいました。



今日の写真は 城北洞にある 菊花庭園の カンジャンケジャン(ワタリガニの 醤油漬け)コース


困ったのは 字幕。
字幕は 手が届きそうな一番手まえに あらわれるのに 
画面は かなり後ろにあるので
同時に見るのが 困難です。
どっちを見るか その時々に 決めて見るしかありませんでした。





かぼちゃ粥から始まり 一品一品づつ出てきます。


ところで 겨울왕국は 映画としても とてもいい映画でした。
小さい頃 はじめて ディズニー映画「白雪姫」を見て 
ものすごい 衝撃を受けた時の あの感激感、久々に よみがえりました。
白い雪の上を かわいいバンビが 走り回るんです。 えもいわれぬ光景でした。








まさしく この映画も あの時のような ディズニー映画でした。
今 韓国では この映画の主題歌が 爆発的にヒットしています。
「ありのままに let it go」
렛잇고 と ハングルで 書くんですね。

レティッゴー レティッゴー (といい加減に 発音しながら)
アジュンマまでも 知らずに口ずさんでしまうくらいですから すごいです。 
物語とマッチして 韓国の歌手が 歌うその歌声も 感動ものでした。

日本では 3月公開になるのかな?
ぜひ 4Ⅾで ご覧ください♥
http://jkeney4267.tistory.com/1903

  


Posted by アジュンマふきこ at 00:03Comments(1)韓国語学留学中

2014年02月08日

無断入室禁止

コーヒーが切れたので 寝巻に近いかっこうに コートをひっかけて 外に出たら 
雪がちらほら降ってきました。
寒い時は やはり雪も一緒に降ってくれると うれしいですね。

ところで今日は

「天安にある柳寛順の記念館や 独立記念館を見て 夜は温陽温泉一泊」

という最後の一人旅を楽しむ予定でしたが 
風邪がすっかりなおっていないのと、 

この間毎日朝から夜まで スケジュールを目一杯詰め込んだために 
ちょっと 疲労のピークがきて きょうは 休むことにしました。

またいつか 韓国に来た時 ナンピョンと行く楽しみにとって置くことにします。
安城の方にも回ってみたいし、 まだまだ見たいところが 一杯あります。





今回のソウルの町まわりは オリンピック公園にある 夢村土城跡です。
百済の最初の 首都があったところ。
オリンピック会場を建設し始めたら 遺跡が出てきたので 急きょ 予定を変更。
会場は 遺跡を 残してその横に つくったのだそうです。 



ところで家主が このかん 私のいない間に 
何回か勝手に 部屋にはいって来ていることがわかりました。

先日も 疲れて 遅い食事をしていた時に 部屋のノックが聞こえました。
知り合いでもないし、何か怪しいし、 
それで ほっといたら 突然鍵を開けて 家主が入って来たのです。
もうびっくりです。 あり得ません。 
考えられないことでした。

「誰もいないと思ったから」 ですって。

なんでも 2月にこの部屋が空くので 
写真を撮って ネットに載せるんだそうです。

「いないときには 勝手に入って写真を撮るのは当たり前」
 
という家主の常識を 覆すのは ものすごく大変でした。

一緒に来ていた若い女の子 (おそらく不動産屋) も 一緒になって
もし拒否して 次の人が決まらなかったら どうしますか?
なんていうのには 呆れ果てました。

ケチな家主は、最後の切り札 脅し文句のように
これでは 保障金を返せないとか言ってくるし、
ホント困りました。



中央の青いシートのところが 遺跡の出てきたところ。
周りの土手みたいなのが 土の城壁。
崩れないように 様々な 工夫がなされている。



翌日に撮影を延ばしてもらって一応は解決しましたが
借りたい人が来た時には
早い話 私がいないときは

 「勝手に 中入って 見るよ」

と また言われて、
もう びっくり。 
呆れます。


押し問答のすえ 
やっと 
「電話してから来ること」
という約束を取り付けましたが、

当然 こんな約束 あの家主には どんな拘束力も持たないことでしょう。

実際 時間なんて のべつまくなし 
いきなり来て ドンドンドンと ノック。

私がいるときで すでに 4回 見学者がきました。





漢城百済博物館
土城の周りにはお濠が 張り巡らされている


おちおち ゆっくり寝てもいられないし
部屋も散らかしっぱなしにもできず、
だらしない服も着ていられないし、
なんか 疲れます。

こんな調子ですから
当然いないときは 平気で入って来ていることでしょう。


韓国は 3月から 新学期が始まるために 
今の時期 部屋を探す人が多いのです。



終わってから 皆で 韓定食。 品数はさすがですね。


知り合いに 愚痴っていたら、
実は その人も 
部屋を借りるため不動産屋さんに行った時、

不動産屋さんは 即座に 鍵をジャラジャラ持って
あちこちの部屋を案内してくれたそうです。

もちろん 前もって 電話をしている風でもなく
いきなり まだ人が住んでいる部屋に入っていったそうです。
そういえば 私も 
まだ人の住んでいる部屋を 見て回ったことがありました。

ひょっとして これが韓国の常識? 

とは思いたくありませんが
プライバシーがないのか 
店子の権利がないのか、
家主と 不動産屋の独善的価値観なのか、

せめて 
「本当にすみませんねぇ。 でも こっちの事情も分かってね」

程度の言葉や 価値観があればいいのですけれど。

はじめっから 「120%当たり前」 的な 態度が 
どうも 理解ができなく 馴染めませんね。



ということで 最後 気分直しに ミュージカル 「ゴースト」 を見てきたこと 報告します。
パン王 に出ていたジュォン、
最近では オジャッキョウの兄弟 や グッドクター で すごい人気ありますよね。
彼が主演です。歌 うまいんですよ。
顔が小さいのに 背が高く モムチャンで すごいガタイしていました。
テレビとそっくり、 
ホント かっこよかったです。
  


Posted by アジュンマふきこ at 13:40Comments(0)韓国語学留学中

2014年02月03日

설연휴 (=正月連休)

いつの間にか2月に入ってしまいましたね。
今月25日には いよいよ ここを引き払わなければなりません。
韓国に居られるのも あと残りわずかで

一日一日が 大切で 貴重な時間になってきました。



今日の写真は 南山にある韓屋村ツワーです。
後ろに見えるのが 南山タワー
解説者が日本ツウで 沖縄の辺野古や 都知事選などに詳しくて 驚きでした‼


ところで 実は 沖縄の人には おなじみの 旧正月。
今年は 1月31日に当たりましたよね。
ですから 今日(2月2日)は お正月の3日ということになります。

韓国では 年末年始の休日は 旧暦31日から3日間なのですが
今年は日曜日が続いて 今日までお休みです。



朝鮮王朝時代の ヤンバンや大富豪の家を 移築し再建しているところです。
さすがに部屋数がすごい。


ところで 韓国は 今でも 年齢は 数え年で言います。
日本も昔そうでしたが 
今では 数え年の 数え方が わからない人が多いと思います。
 
数え年というのは、生まれた瞬間 1歳になります。
0歳という概念は 存在しません。
そして年を越すたびに 1歳加算されていきます。
誕生日は いつだろうと関係ありません。

たとえば 12月10日に生まれた子供は 既に 1歳ですが 
12月31日を過ぎれば2歳になります。
1か月も経たないうちに 2歳になってしまうんです。

ですから 孫の服を買うときに 2歳用の服を買ってはいけません。





沖縄の友達に誕生日をたずねた時 
よくわからないと 答えた人がいました。
じつは 彼女の地方では 旧暦が誕生日なんだそうです。



台所。 
カメが二重重ねになっていて 急須の口のように見えるのは 蒸留酒を作るもの。


ここ韓国でも 誕生日が ちょっと困るんだという話を
このあいだ聞きました。

やはり 旧暦が誕生日になるので 
誕生日はいつかと聞かれても 
毎年異なる日にちになるため
即座に答えられず
一々 カレンダーを見ないといけないんだそうです。

本人が こうですから 家族や友達や 恋人が
どうして 人の誕生日を 暗記できるでしょうか?



キムチの保管庫。
土の中に埋めて 冬凍らないようにしている。 
夏も一定の温度が保てる。


ですから面倒くさくて 

1、旧暦の誕生日を うまれた時の新暦に合わせて 毎年同じ日にやるとか
2、旧暦の誕生日を 新暦の誕生日にすり替えて毎年同じ日にやるとか
  (旧暦3月3日に生まれら 毎年新暦3月3日に 誕生日をする)

それなりに工夫して 誕生日をしているうちに
何が本当か ごちゃごちゃになるんだそうです
聞いている方も ややこしくなりますよね。

これで うるう年に当たって 同じ月が2回あったりする場合
(たとえば 一年に うるう4月もあれば ただの4月もあるようなとき)
に生まれた人は どうなるんでしょうか?

ま、ややこしいので 
それは いいとして

私は 丁度 今回 韓国の秋夕(お盆のようなもの)と お正月を 
経験しました。



茶房。 伝統茶が飲める


それで 実は 運のいいことに 秋夕の時もそうでしたが 
今回のお正月も 韓国の節句料理をおすそ分けしていただきました。

日本から来ている彼女の彼氏が 韓国の人で
その彼氏のお母さんは 料理がとても上手なほかに

손이 커서(=手が大きい= 品数も量も たくさん作って おもてなしするタイプなので)

おかげで 勢い こちらにも 回ってきました。

ですから 私の友達の方面にも 自然に流れていくわけですが
本当に ありがたい話です。

ちょうど
ナヌムの家で年末年始を過ごして
今日は 家で ゆっくりすごしていたところでしたので
マッコリを お屠蘇代わりに 韓国のおせち料理を いただいています。



お節料理の写真 撮り忘れました。
茶房で。 シッケと 伝統菓子
  


Posted by アジュンマふきこ at 02:25Comments(0)韓国語学留学中

2014年01月26日

カマニッソバ

バスに乗っていたら とても品の良いハラボジ(おじいさん)が乗ってきました。
山高帽に細い金淵メガネ、背も鼻筋もすらりとしています。
おまけに 質の良いウールオーバーコートのいでたちです。

あいにく 席がなくて 立っている私の隣りに 立たれました。
バスは 相変わらず急発進の乱暴運転で、危険極まりありません。



今日の写真は 城北洞の ワーキンツアー
蚕の神様を たてまつっているところ。


目の前の 老弱者席には、
耳にイヤホン、スマホでテレビ視聴、おまけに片手にスタバのコーヒーという
今や韓国若者を代表するスタイルの妙齢のアガシ(お嬢さん)が 
どっかりと座っているではありませんか?

アジュンマ ぴきっと 神経に来ましたね。
隣りの素敵なおじいさまのためには 黙っていられません。



独立運動家 万海


「ちょっと アガシ、席を 譲ってくださったらどうでしょう?」
袖を ちょっとつついて、
日本語なまりが なるべく四方に散らばらないよう
できるだけ低い声で言いました。

幸いアガシは 席を譲ってくださいましたが、
ちょっと 溜飲が下がりましたね。



茶屋「寿硯山房」 もとは作家の家


アジュンマは小心者で 正直者ですから(笑)
自分のためなら からっきし できませんが、
人のためなら
特に 素敵なおじいさまのためなら
エンヤラコラです。
自分ながらも えらいことしてしまったなあと
あとから ドキドキしました。

これもまあ、 
「よその国で アジュンマのいらぬおせっかい その1」記念品
と思うことにしました。





ところで バスの中での話 もうひとつ。
ものすごく驚いたことに
やたらに親切なバスの運転手さんも いらっしゃるんですね。
乗ってくるお客様に 一人ひとり
「アンニョアセヨ」と 声をかけるのです。

市場に行った帰りの話ですが 杖を突いた おじいさんが 乗ってきて、
バス賃を 出すのに 相当 苦心しているんです。

財布を出すのに もぞもぞ ひと苦労、 
財布を開くのも ヨロヨロ やっとこで
その上 お金が なかなか 出てきません。
手袋脱いだりしています。



吉祥寺(キルサンサ)。 むかしは超高級料亭。 女主人金英韓の生涯と ラブストーリは有名。
莫大な財産とともに すべてを 寄付し 今は お寺になっている。
テンプルスティもしているので 一度は泊まって見たい。


普通のバスなら お構いなしに 急発進するのですが
親切な運転手さんだから ずーっと待ってくれています。
でも とうとう 業を煮やしたのか
 
「いったん座ってから やったらどうですか?」
と優しく 声を かけました。
ホント すごい親切な運転手さんで びっくりしました。





実は 本題はここからです。
そしたら そのおじいさん
「가만있어」(カマニッソ)っていうんです。

直訳したら 「じっとしてろ!」「だまってろ!」
ていう意味なんですが。

結局 運転手さんは 
だまって じっとして バス賃を支払うまで 待っていました。

この カマニッソ、

本当によく聞く言葉です。

日本語的に直訳したら 
気持ちいい言葉では ありませんよね。



私も 親しくなったアジュンマや、 ハルモニに
カマニイソバ(黙ってみて!、じっとしてみて!)
と言われて びっくりしたことがあります。

早い話 くちだすな! 手を出すな! お前は黙ってろ! 
ですからね。

この言葉 ドラマにも しょっちゅう出てきますが
不思議なことに 言われた人は スルーしてます。

腹立たないのかなあ と思います。

人に聞いたら 
ものすごく きつい言い方ではなく、 普通に出る言葉だそうで

単に 独り言ふうに

「ちょっと待てよ」的なニュアンスで いったりすることもあるんだそうです。
そうはいっても なかなか 馴染めない言葉ですね。

はたして あのバス賃もたもたハラボシは
どういうニュアンスで カマニッソ と言ったんでしょう。



でも 一つ はっきりしている カマニッソ があります。

アジュンマの部屋の話。

シャワーのお湯が ぬるくて これじゃあ冬が越せないと 
ケチな家主に我慢ならず とうとう啖呵を切ったことがあります。  

ぐずぐず 文句を並べ立てていたら
家主が ひとこと でかい声で いいました。

「カマニッソ‼」

アジュンマ 思わず 口をつぐんでしまいましたね。
ガイコツ

最後は 行列のできる店 「성북동 매밀 수재비」 
そば粉のすいとん風 と そば粉チジミ



  


Posted by アジュンマふきこ at 01:26Comments(0)韓国語学留学中

2014年01月21日

ソウルまちまぁ~い(まちめぐり)

30分まっても 待ち人が来ないので、
先に帰るねと メール送っても 反応なしでした。

何かあったのかなあと 電話しても とらないので、
まあしょうがないかと 喫茶店で 本を読んでいたら
「ごめん、試験中で 出られなかった」 というメールが来ました。
わたしが、かっきり1時間 時計を見まちがいしてました。



清渓川にある お気に入りの喫茶店の窓越しから


朝の連ドラ 「私の手をつかまえて」 にはまっていて
ちょっと遅れ気味に家を出たために
またバスを間違えてしまいました。 
(111に乗るべきを1111に乗ってしまっただけなんですが)

先生にあわてて 15分遅刻しますと メールしました。

が、 学校に着いて 思い出しました。
学校は 9時じゃなくて 9時半までに行けばよかったのです。
おかげで 一番早く 学校につきました。
 
抜けているところが 埋まらないのはしょうがないとしても
穴が 多くなってきているのが 気になるこの頃です。




というわけで
雪が降らないと ボヤいていたのが 天に通じたのか 急に昨日から 
雨交じりのような 底冷えのする雪の天気になってきました。

韓国生活も あと残りわずか1か月かと思うと
時間がもったいなくて 金曜日からの3連休は ずっと出ずっぱりでした。

1、民族研究会の ヒジャさんに 挨拶
2、ソウルウォーキングツワー(워킹 투어)参加/ 慶熙宮・独立門・西大門コース3時間
3、「ラブ イン ニューヨーク」 ミュージカル鑑賞
4、映画「殺人者」鑑賞
5、チムチルバンに行き 久しぶりの アカスリ
6、宗廟(종묘)(=朝鮮王朝の歴代王すべての位牌と 王族の位牌安置所)見学




慶熙宮。 
(イムジンウェラン=豊臣秀吉出兵)で 二つの宮殿が焼失した後、光海君が たてた宮殿。


ソウルのウォーキングツワー というのは
那覇の「町まぁ~い」(=まちめぐり)のようなものなんですが
ボランティアの案内人が2,3時間かけて
ゆっくり一緒に歩きながら 色々解説してくれる企画です。

20コースがあって、そのほかにも 常設案内人がいる名所もあります。
日本語・中国語・英語など 外国人にも対応していますが
私たちは 韓国語で 案内してもらいました。

友達から教えてもらって 初めて参加しましたが、
とってもいいですね。

韓国に来る人には ぜひ おすすめしたい企画です。






京橋荘。 解放後 大韓民国臨時政府が置かれた 庁舎。 
もとは金持ちの日本人が所有していた別荘だった。
2階は書院造の床の間もある広い畳敷きの私邸。 白凡や 金九が住んでいた。 
金九が暗殺された時の銃痕も残っていた


それにあまり参加者がいないので 自分たちだけになる場合が多いとのこと。
実際 今回も 私たちだけでした。
わからない単語を聞き直したり、 質問もしたり 歴史ドラマに話が飛んだり
それやこれやで ずいぶん 韓国語の勉強になりました。



カフェかと思える ハイカラな レンガ造りの家。
作曲家 洪蘭坡の家


観光パンフには 絶対載っていない穴場的な所や エピソードもたくさん 聞けて
満足度 ホント! 120%でした。
その上 無料というのですから 申し訳ないくらいです。


もっと早く知っていたらなあと 悔やまれますが、
「一人でも 可」なので これからも どんどん参加することにしました。



3,1独立運動をいち早く世界に発信した 米人記者(名前を失念)の住んでいた家。
奥さんが入院していた産婦人科に 日本の官憲が3・1の前日 気配を察して捜査に入ったが
奥さんのベットの中にビラを隠して事なきを得たとか。


話しは 変わって、「ラブインニューヨーク」

こちらは ジャズナンバーにのせた ダンサーたちの 歌と踊り、
感想は 「無条件、面白い‼」 につきます。



マロニエ公園




会場は 成均館大学の 成均館600周年記念会館。
さすがに歴史が古い。
奥にある大きい建物。


大学路のマロニエ公園に 公演の情報センターがあって
そこで この公演を見つけたのですが、
本来 電話予約は受けてないところを
たまたま団長さんが 電話に出てくれて VIP席が 予約できました。
当日行ったら なんと 66000ウォンが 26000ウォンに 割引になっていて 超ビックリでしたが
こちらは 正真正銘 ガブリつきで 堪能できました。



結構大きい会場でしたが、 こんな近くの席。
にしても 韓国では公演中 結構スマホで 写真などへいきで 撮っています。


おかげで ダンサーのばらつきや キレのない動きが気になったりして、
「前であればいい」 って問題でもないなあと 思ったり、
人は ホント 贅沢なもんです。





宗廟は 通学の行きかえり 通過するところですが やっと 行ってきました。
雪景色の中の 宗廟は 何か 雰囲気があって格別でしたね。




たまたま 韓国語の案内者がいる時間帯に当たって 
(こちらはなぜか人が多かったのですが)
中国語を習っているという、日本語がちょっとわかるアガシ(おじょうさん)と仲良くなって
 韓国語で話もできました。
宗廟も一人で見れば ただの建物になりますが 
これまた 話を聞けば結構興味深くて おもしろいですね。
やっぱり 解説者がいてくれるのが 最高!です。






ロッテシネマのある ロッテ百貨店の 受付のアガシ
ソルラル(旧暦の正月)が 間近です




  


Posted by アジュンマふきこ at 13:30Comments(2)韓国語学留学中

2014年01月16日

映画「弁護人」

ニュースに マイナス12度とか出てきますので 
寒くて死にそうかというと  実はそれほどでもなく
「これくらいなら 何とか 我慢はできそう」のかんじです

雪国育ちなので 零下イコール 大雪を イメージしてしまいますが
雪がないんです。

雪が降らないまま 「冷た~い」というのは 
なにか、物足りない感じがしますね。





というわけで
今月は 室内娯楽に軸足を移しました。

映画と言えば 今や超話題の 「弁護人」
まずは これから 見始めるしかないでしょう。

極貧の中 自力で弁護士になり 金儲けに血眼な若き弁護士が
国家謀反罪(もちろん軍事政権の捏造した事件)に問われた青年たちの 
弁護にかかわることを
きっかけとして 社会派弁護士に変わっていく姿を 描いた映画ですが
ご存じ 故ノムヒョン元大統領の若き日を モチーフにしています。
ソンガンホが やはり いい味を出して
正義に燃える若き弁護士の姿を 熱演しています。
観客動員数が 今週で1000万人を 突破するらしいのですが
やはりと うなずけます。




ただこの数字 不思議なのは 韓国の全人口は5000万超らしいのですが 
赤ちゃんや老人含めて
「5人に 一人」見たというのは 本当でしょうか?
少なくとも私の周り 5人に聞いてみましたが 私一人でした。(あれぇ?つまり当たっている?)
冷静な友人は チケット購買数であって 観客数じゃないんじゃないの? っていうんです。
会社とか団体がまとめ買いして配ったりしてるんじゃないの? っていうんです。
まあ いいんですけど。




そして もう一つ。
こちらは 生です。
生で 「パクコニョン」を見てきました。
創作ミュージカル舞台公演 「ディセンバー 終わらない歌」(끝나지 않은 노래)です。

VIP席 13万ウォン(13、000円)を 予約したので さぞかしガブリつきかと思いきや
1階の大部分が VIP席という がっかりなものでした。
昨年から 公演しているので 
それほど人は多くない と踏んでいたのに
あにはからんや すごい人で、
人知れず 前方空席に移れるだろう!の目論見は 完全に外れました。



光化門にある 世宗大王の銅像(右端)、 左端の建物は 世宗文化会館
「ディセンバー終わらない歌」の公演会場は この建物でした。


今回のこの公演は 32歳の若さで 自らの命を絶った音楽家 キムグァンソク(김광석=金剛石)
生誕50年を記念して 創作されたものです。

ちょっと 見に行く前に 予習を兼ねて ネットでこの人の歌を聴いたら 
いっぺんで惹きつけられてしまいました。
透き通る声に どこか哀愁があって ぐっと胸に迫ってくるのです。

映画「JSA」の挿入歌だった 「2等兵の手紙」というのもこの人の作だったのですね。
韓国では 知らない人はいないほどの 368世代の伝説の歌手でした。



 
さっそく今日 学校の帰り 教保文庫でCDを買ってきました。 はまりそうです。




教保文庫に入っていく階段で。
飴売りのアジュンマが、小さい入れ物で砂糖を溶かしているところです。
手のひら大のべったらこい飴に 星型やハートの型模様を刻み付けるのですが
きれいに型どおりに割らすことができれば 願いがかなうというもの。
結構 人気です。
  


Posted by アジュンマふきこ at 22:02Comments(0)韓国語学留学中

2014年01月03日

逸脱から 秩序へ

新年あけましておめでとうございます。



東風平の初日の出


年末 仲井間知事にとっては一生に一度の「大英断」のつもりが
おおまちがいをしでかした
「大・誤判断」の真最中に 韓国から戻ってきました。

折しも 嫁家族が 第一姫をつれて 沖縄に来たので そのまま
世間とは ちょっと離れて 別世界のリゾートで 骨休みをして来ました。




2世代の団体様という事で 予約しておいたホテルがグレードアップの大サービス、
スィートルームを用意してくれていました。
おかげで やはり沖縄は 年末も最高! を満喫しました。
スイートなんて 初めての経験でしたが 
間取りを 一瞬理解できないほどの 大・大・スペースで、
嫁があとで調べたら なんと
一泊50万円を超す部屋でした。





それもそのはず 寝室2部屋に バスルームが2か所。 
ベランダにはジャグジーバス、食事用(会議用)テーブルに 応接セット。
エスプレッソ機械付き 飲み放題も すごいものがあって
とにかく 贅を尽くした部屋でした。
年末 思いがけなく いい思いをして
孫たちと さわがしく 一年を 締めくくりました。














そして 年が明けた 今日は 2014年1月3日。

新年 光輝く 陽のひかりは すがすがしさを通り越して 眩しすぎ 暑すぎです。
今日も 23度の 沖縄です。 



初詣のあと 海辺で


昨年 韓国語の授業で先生が 「皆さんの 逸脱(일탈)の過去を教えてください」
と言われて ハタと困ったことがありました。
が、
私にとっては まさに 
日常から脱却して韓国で生活している「今」こそが
そうだったのです。

思えば 昨年は 新年早々に あわただしく韓国行きを決意し
3月に渡韓。 
そして なか3ヶ月を置いて 再渡韓、 半年以上 韓国で過ごしました。

近い国とはいえ やはり外国であることには変わらない異国での一人暮らしは  
充分に刺激的で 魅力にあふれていました。

恐いのは 今年の2月に戻ってきて こちらの日常に うまく復帰できるか・・
すべてのエネルギーを使い果たしていないか
心配のほうが 先立ちます。




で、とりあえず おみくじを引いたら 
「大吉」だったので
何とか 今年も なるように 転げるかなあと

それで 目標は

 「逸脱から 秩序の回復」

とでもしておこうと
思っている 新年です。

今年も どうぞよろしくお願いいたします。






  


Posted by アジュンマふきこ at 18:56Comments(2)韓国語学留学中

2013年12月21日

年末大詰め

週末 久しぶりに家でゆっくり勉強しています。
というのも 来週 月と火曜日、延世大6級の9課と10課の試験と、
期末考査があります。
ので 真面目に やっていますが
それで 今月は もうおしまい。
いよいよ冬休みに入りますハート



先週は 雪道をバスに乗って 広州のナヌムの家まで行ってきました。
すっかり冬景色でした。


というか
6級で 韓国語の勉強は終わりになるので
つぎのクラスがありません。
本当に 大詰めを迎えたわけです。



つららも ちゃんとできているんですよ


とりあえず今月から 発音矯正のクラスにも通い始めていますが
週1回しかありません。
それで どうしたものか 困っていましたが、
幸い うちの6級を終えたクラスメートと 話し合って
特別に 新しいクラスを作ってもらうことにしました。



スキーでもやりたい風景ですよね。
勿論 アジュンマは滑れません。


グリーン学園というところで 今勉強していますが
今まで こういう例はなかったそうですが
大変 融通をきかしてくださいました。
週3回 今までの復習と 会話の練習を中心とした学習です。
6級までやったとしても 会話はなかなか上達しないので
集中訓練という事になります。



ちっちゃい雪だるま 作っちゃいました。
手が冷た~い!でした。


アジュンマ個人としては 
これとは別に 韓国の高校生と日本語と韓国語の 交換勉強会をしています。
そのほかに 一つ何か 韓国の人と過ごす時間を増やす方法があればなあと 今思案中です。



寒い日にはやっぱり カムジャタン
ジェゥオニの タンゴルカゲ(馴染の店)にて。


冬休みは 沖縄に帰って 正月を迎える予定です。
嫁の家族が(孫が生まれたので 嫁夫婦から 嫁家族に昇格)
遊びに来ますので 今から楽しみです。



巷は クリスマスで 浮かれてますが
アジュンマも試験が終わったら 街にちょこっと 繰り出してみようかな




  


Posted by アジュンマふきこ at 15:42Comments(0)韓国語学留学中

2013年12月13日

本格的に 寒いです。

不思議なこともあるもので
一日 2分遅れていた時計が どういうわけか きれいに直りました。
冬だからと言って 早くなったんですかね?



やねにうっすらと雪が積もった 東大門 
夕食は 東大門ちかくの タッカンマリ(=直訳 鳥一匹=鳥の水炊き)でした。



と思っていたら きょうバスの中でも 不思議な光景がありました。

老弱者席(シルバー席)に 座っていた若者が 老人に さっと 席を譲ったのです。

韓国と言えば お年寄りに対する 配慮がものすごくあって、
礼儀正しい国 というイメージですよね。
ちょっと お年を召した方が 乗ってくると すぐに 席を譲ります。

ところが この頃は がらりと変わって
若者は 特にバスでは 率先して どっかり座り
イヤホンを耳に差し スマホで ゲームやら テレビを 集中力をもって 見ています。

先日も 若者と 老弱者席を争って アジュンマ 当然負けて
しぶしぶ 吊革に ぶら下がりました。
その若者の スマホが 上から見えたおかげで 
キムヨナちゃんのスケートが その日なんだ って わかったわけなんですがね。

とまあ、 近頃 こんな感じなんですが、
きょうは 若者が 席を譲るの 立て続けに 3回 見ました。
やっと
ホッとしました。
これでこそ 韓国ですよね



日中 気温少し上がりますが すぐに冷え込むので 道が 凍ります。
雪はそれほど多くはないのですが 解けないわずかな雪が 所々 凍って 歩くのが こわいです。


ところで 語学留学していた知り合いが
高麗大学の 本科の方に 転入できることになったそうです。
韓国語の一番の 上達方法は まず第一に
韓国人の彼氏を作ること。
そして 韓国の普通の大学に入ること。
この2点に尽きます。
知り合いの彼女は この二つ
ともにクリアしました。
うらやましい限りです。



こちらは カンジャンケジャン。
ワタリガニを 生のまま 醤油に付け込んだもの。 美味。
チンミ(真味)という店ですが 予約しないと入れないほどの 人気店


あじゅんま あと 10年早ければなあと
このごろ つくづく思います。
そしたら 少なくとも 一つは 可能じゃないですか。



秋から 冬にかけてが 旬だそうで 身が甘く
ビールを飲み忘れるほど おいしいです。

  


Posted by アジュンマふきこ at 22:29Comments(2)韓国語学留学中

2013年12月11日

初積雪!

ヤッホ~! です
今日 雪 積もりましたぁぶーん
何年ぶりで みたかな?

感激ひとしおですハート
それほど 底冷えしたわけでもないのに
朝起きたら 雪景色でした。





久しぶりに 空も青くて
日も差すぐらいです。

青空での 初積雪。 感激も2倍です。

先日の 「はつ雪」の日は
丁度 キョンドン市場で 買い物の最中でした。

急に 前が見えないくらい 大量のぼたゆき(牡丹雪)が
それこそ ぼたぼたと おちてきて
ホントに 驚きました。
あの時は
道路に落ちるや いなや すぐに溶けていましたが・・・。

韓国での雪は ホント 意表を突く 降り方をするので
感激やら 驚きやらで こっちの方も 忙しいです。





それで 今日は うれしくて
学校に向かう バスの中から あちこち 雪景色を写したりしていました。
そのうち バスが 何だか知らない道を走り始めたので
不安になって見たら 273番のバスにのっていました。





723番に 乗らないといけないのに
雪に浮かれて 間違がえて乗っていたのです。
あわてて降りて べつのバスに乗り換えました。






しばらくして
ふと 気が付くと 273番バスが すぐ前をはしっていました。

あれぇ~ とおもって
よくよく考えてみたら

723番じゃなくて 
やっぱり 273番で よかったんです。
まいにち 乗っているのに 間違えるわけないですよね。

でも 何で急に  723番って おもったのでしょうか?
この数字 やっぱり 紛らわしいですよね。 

こんなんでもこの先 大丈夫 やっていけるかなあと
心配になりましたが

そのあとつくづく思いました。

よく こんなで 生きてこれたもんだなあと。



停留所の前は カチカチに凍って つるつる滑リます。
店のアジョシが 雪かきをしてました。



そして 今気が付きました。
これって 
ひょっとして 痴呆の始まり?

道が急に 見知らぬ感じにおもえてきて 不安になり
そのうち さまよいだす 

っていうの、 

怖くない?

書きながら 
身震いしています。
お~ さむっ!



気を取り直して。
7階の 教室から 清渓川(清渓川)を 見下ろした 風景です。
  


Posted by アジュンマふきこ at 21:25Comments(0)韓国語学留学中

2013年12月08日

勝者のおごり

久しぶりの休み どこにもいかず めずらしく 勉強しています。
明日は 韓国の 伝統工芸 メドゥプについて 発表です。






メドゥプというのは 
絹糸を染めて 
いったん 組みひもに編んだものを
こんどは 飾り結びにしたものです。

韓国のお土産で ストラップや 扇のふさなどに
可愛い飾りがついているのを見たことが あるでしょう?
それです。

もちろん それは 絹糸ではありませんが… 

今回 本格的に習いたかったのですが
それがかなわず ちょっと残念な状態です。




家にいる時間があると 外食がちょっと面倒で
結局は シチューを作ったり ポテサラ作ったり
野菜をまとめ買いして ゆでたり 冷凍保存したりと
おちつかず、
あんまり 勉強する時間 ありませんでした。





話し がらりとかわります。

グランプリで 浅田真央ちゃんが 活躍している間、
キムヨナちゃんが
別の大会(格下の大会)に出て だんとつ 優勝していました。
安藤美姫ちゃんも出て 3位に大きく差をつけて 2位になりました。

ところで
そのときの実況中継を 見ていて驚きました。

解説者の発言が ちょっと いただけませんでした。

キムヨナの次に出た選手が ことごとくジャンプを失敗したら

「この選手は すばらしいキムヨナの演技のあとだから プレッシャーになったのでしょうねえ~
むりもありません」


と 勝手に 決めつけておいて それで うすら笑いで言ったりするんです。

他の選手の時でも
ジャンプが失敗すると その都度 失敗しました!! 
って 張りきった感じでいうんです。

つづいて 出場した美紀選手のときには ジャンプが 失敗したわけでもないのに
それが くやしいのか

やはり キムヨナの ジャンプには かないませんね! 
などと まだ滑っている最中に評価するんです。

キムヨナは スピードが落ちないまま ジャンプに入るし 高さもあるとか 何とか

滑っている選手に 失礼じゃないかと思うんですよね。

ちょっと うまい感じの選手が でていると  
表現力の話題から キムヨナの表現力は どんなにすばらしいかを また解説始めたりするんですね。



すっかり 冬景色になりました


そして翌日、

フリーの 安藤美姫選手の演技は 素人の私から見たら 素晴らしいものでしたが
(角が取れて 肩の力もぬけて 楽しんで 滑っている感じでした)

さすが 滑っている最中は ケチがつけられなかったのか 
終わると同時に 真っ先に出た発言が

「安藤選手の 問題点は 何でしょうか?」ですって。

すかさず 解説者は ○回目のジャンプは 完全に 体力不足です! 
それから なんだかんだとケチ付けして

ほめることを しないんですね。

荒川静香さんの 解説は 決して 選手をけなしませんよね。
うまくできた点だけを ほめます。
ミスをした時でも 本当に 自分のことのように 残念がります。
選手たちが どれほど つらい練習と 苦労をかさねて この試合にのぞんでいるかが
わかるからだと思います。





韓国の司会者の人も 初日の最後に
こういいました。

「この日に向けて どれだけ 一生懸命 選手が 努力をしてきたかを
私たちは 理解して やらなければなりません」

演技の欠点だけを さんざん 並べ立てておいて
いうんですからね。

キムヨナちゃんは 本当に ほれぼれするような演技で
見ていても 感動しましたが

解説者の 「勝者のおごり」 的な 発言は ちょっと
聞き苦しかったです。



この作品 勝手に 「和」 と 名づけました
  


Posted by アジュンマふきこ at 19:47Comments(0)韓国語学留学中

2013年12月06日

ミセモンジ

沖縄では 美容院にいったり エステに行ったり 
友達とのランチ会など あれこれしているうちに
一週間が あっという間に すぎて
いまは また韓国生活です。



自宅の庭で 採れた桑の実の はちみつ漬け 友達がくれました。
空港まで 見送りに来てくれた Kさん お土産の 大阪お越し
 学校に持っていったら 大うけしました。ありがとう。


韓国
思ったほど寒くはないですが
やはり 寒いです!!

この間 一緒に 旅行に行ったり 飲んだり つるんだりしていた友達が
一年間の 留学生活を終えて 予定通り 日本に帰って行ってしまいました。
やっぱり 寂しいですね。
それで 寒いのかな。



きょうは クラス会がありました。 


ところで 韓国は ミセモンジ(微細チリ)が ものすごいことになっています。
ウィルスよりは おおきいけれど スモッグよりも細かいのだそうです。 

クラスの人がいうには 
今朝 ハンガンの 向こう岸が 見えなかったほどだ とのこと。 
霧のように もやがかかって 視界が 悪いのです。


原因は 中国です。
黄砂はいつものことですが 
煤煙やら排ガス、 その他が入り混じった ミセモンジが 中国から 飛んでくるのです。
風向きのせいで 韓国全体を 覆っているのですが
健康に 相当 わるいそうです。
クラスのみんなは マスクをしています。
アジュンマだけ まだです。



食べたのが ポッサムですが 今回は 旬の 生ガキも 注文しました。


不思議なのは 
中国は 自国の国民が 
言ってしまえば 公害にあって 寿命を 縮めているというのに
また
周辺の 国に 多大な迷惑をかけているというのに
お詫びの一言もなければ
真面目に 対策を考えている風でもなく、
それって どうなのよ!
ですよね。





おかげで 明日からの 三連休 またぞろ 
一泊でもしてくるかと クラスで 話をしたら
みんなに ひんしゅくを かってしまいました。
ミセモンジのためです。

当面 外出禁止状態です。
オットッケェ~
  


Posted by アジュンマふきこ at 01:27Comments(0)韓国語学留学中

2013年11月28日

国産ROOTS時計

韓国で 腕時計がピタリと 動かなくなったので、 
こちらに帰って来て 修理に持っていったところ
「動いてますよ」 って 言われて びっくりしました。

動いてました!!
実は この腕時計は ソーラーなので、 
窓際に置くように していたのですが、日光不足だったんですね。
というか 沖縄では 邪険に置いていたのに 動いたということは、
やっぱり 相当 沖縄は 太陽光線強いんですね。



久々に 洗濯ものから 太陽のにおいがしてきました


道理で アジュンマ 日に焼けて 黒いわけです。

ところで 韓国での話。
時計が壊れたので 一時しのぎ用 安物の時計を 東大門に 買いに行きました。
ホコリにまみれたまま 山積みで売られている 時計の中から 
ちょっと 恰好いいのを見つけました。

が、残念なことに 皮のところが 古くなって 薄く剥げています。

10、000ウォン(約1000円)なんだけれど
さらに安くしてもらおうと
アジョッシに 難癖をつけたら
「国産だよ、 国産!」
「この値段じゃあ 絶対買えないよ」というんです。



ほったらかして行った庭でしたが ナンピョンが 時々手を入れててくれていました。


今、韓国は 国産が 妙に 流行しています。
スーパーでも 食堂でも 何でも 国産を 「売り」にしています。

牛肉、野菜、乾物、 確かに 国産(韓国産)は 
何がどういう風にいいかわからないけれど 「いいかも感」があります・・
(農薬や 科学飼料 国産だって 使ってるんじゃないか? 
という疑問は 大いに残りつつ…)

ま、 いづれにしろ 今 韓国は 安い中国産が 相当 出回っています。



ワンちゃんと 久しぶりに 散歩しました。


しかし

時計まで 国産を 「ウリ」にされても ちょっと なん だか。
ですよね。

でも デザインが 捨てがたくて 
仕方なく 1000円で 買いました。
アジョッシは 国産はやっぱり 違うねぇ~ とか何とか まだ言いながら
一生懸命 ピカピカに磨いて 電池を入れてくれました。



ねっ 光ってるでしょう


しかし 家に帰ってよく見たら ROOTS と しっかり 書いているじゃあありませんか?
ROOTS時計って ひょっとしたら カナダ産!ですよね。

それを 1000円で 買っちゃったんですから
アジュンマとしては 久々の やったあ! 感です。

ただ 腑に落ちないのは アジョッシの 「国産」へのこだわりです。
一応 時計専門店でした。




ところで 困ったことに この韓国産と言われた ROOTSの 腕時計は
 一日に かっきり 2分遅れます。

で、 結局 めぐりめぐって
時計は やっぱり 国産(一応日本人だから 日本産のことなんですが)が 最高ですね(笑)

  


Posted by アジュンマふきこ at 11:01Comments(2)韓国語学留学中

2013年11月25日

韓国語学留学 秋学期 総集編

実は今回の記事は 沖縄で上げています!!
観光ビザで 行ったため 90日以上の滞在ができなくて
休暇を 兼ねて 昨日(24日に書いた文章です) 沖縄に 戻ってきました。
一週間ほどの 予定です。

「おきなわ」 やっぱり 暖かいですね。
いい風も吹いて きょうは 最高の 洗濯日和でした。
屋上から 見る久しぶりの東風平の風景。 空が 真っ青です。
ワンちゃんたちとも 再会できたし、
爽快に 車も 飛ばして、
やっぱり いいですね。 




ところで 今学期の ちょっと 締めくくりを 
忘れないうちに しておこうかと思います。

春学期の3か月は 「無我夢中の勉強」だったとすると
今学期は 「紅葉に 酔いしびれて」 とでも 言えるでしょうか?

今しかない 「紅葉を とにかく 즐겨라~(楽しめ~)」で  
ほんと あちこちに 出かけてきました。

「ナヌムの家」に行く週末以外の 
週末という週末は どこかに出かけていました。
家で ゆっくりしたという 記憶がありません。

それでも 月曜日のテストは ちゃんと受けていたし
成績も ほぼ 100点でしたので
我ながら 感心します。パンダ

今回の記事 ながくなりますが 自分用の記録として 
出かけたところを ちょっと はしょりながら・・

* 光州 - スンチャンコチュジャン村 - 南原(春香伝) - 華厳寺(智異山=チリサン) 2泊3日







韓国の 軍事独裁政権に抗して 
民主化闘士たちの パルチザンの地としても知られているチリサンに
 ついに行ってきました。
おもったほど山奥という感じではありませんでしたが
なにか ひきつけられる魅力があります。
こんどは 山の方にも 入っていきたいなあと思います。
(光州については 書きたいことがいっぱいあるので またの機会にします)


こちらは 南原 春香伝公園










月でいえば 16夜のような 紅葉でした。 
真っ盛りの峠を 2,3日 ちょっと超えたか? とも言うべき、
あでやかに 熟した色合いが 
雨に 濡れそぼり 何とも言えない美しさでした。
ご存じ 「愛一筋」 の 春香伝の舞台となった地です。

濡れ縁に座って 雨の南原を見ていたら 
ちょっと孤独のような 寂しさが募ってきて
しばらく 動けませんでした・・・
こんな感じも またいいものですね。



* 江原道 春川 - ナミソム(冬ソナの舞台) 1泊2日







ナンピョンが来て 一緒に 行ってきました。
ナミソムは 中国人と 東南アジア系の人で いっぱいでした。
韓国人は ほとんどいなくて
写真をお願いするときには ついに 英語で いうしかありませんでした。
韓国に来て 韓国語が通じない! のでした(驚)




チュンチョン(春川) 米軍基地返還地を 背景に 
防寒完備すがたでポーズをとる。
なぜかというと ナンピョンが 春川にもある 明洞通りで 
皮手袋から 帽子 ブーツまで みんな 買ってくれたので
証拠写真にしました。
コートは ソウルの明洞で 買いました(笑)
明洞ファッションですね。 くっ


* 南漢山城

沖縄から友人が来て 城岳をずっと歩いてきました。
ソウルからも 1時間半ぐらいで行ける穴場です。
高句麗のチュモン王の息子 オンジョ王子が つくったことで 知られていますが
朝鮮王朝時代には 唐との攻防戦が展開されたことでも 有名です。
これぞ いにしえの 領地拡大攻防戦の場 「ザ・山城」を体験できます。






結構 大変な 行程でした


ここでは 韓国の人に 写真をお願いできました。
かわりに 親切すぎて ポーズを 何回も とらされたり 
場所も移動させられたり 懲りすぎる人というのも これまた 初体験でした。



っていうか、 なぜか私一人が 「のりのりデカ女風」 で、
腑に落ちません。
 

* ワールドカップ競技場の ススキ公園



夕方 遅くなってしまって ススキよりは 夕焼けの美しさに 魅せられました。


* 清渓川の 灯ろう祭り

* チョゲサ(曹渓寺)の 菊祭り



ぎりぎり 最終日に 間に合いました。
象さん かわいいでしょう


* 西大門(ソデムン)刑務所跡

悪名高き 西大門刑務所跡。 
何千人 何万人の人々が 正義を掲げた罪で 拷問と処刑が 繰り返されたところです。
いまは 刑務所は移転され、 いくつかの建物を残して 公開・展示されています。
こちらの写真は 独立門。 



すぐに行けると思って 延び延びになっていたところでした。
まがまがしい 日帝時代の拷問のむごたらしさなどを ずいぶん控えめにして、 
展示を 全面リニューアルしたそうです
代わりに 独立運動や、 独裁政権下で 弾圧を受けた人々を 
大きく取り上げていました。

* キョンサン北道 ヨンヤン





読谷にある 恨の碑 と全く同じ 恨の碑が ここに建てられています。
沖縄に 強制徴用された朝鮮人軍属(軍夫=雑役夫)は 16000名とも言われています。

このキョンサン北道からは 約3000名が 沖縄に 徴用され
その多くが 戦争に巻き込まれて 犠牲になりました。
(機会があれば  この話は 別個に くわしく 書きたいと思います)




******   *****

そのほか としては 映画も 見ました。

* 映画 キムギトク脚本 「俳優は 俳優だ」、 
* コメディ映画「結婚前夜」
 

映画は やはり 聞き取りが むずかしいです。
肝心のところが 聞けないと もう くやしくなります。
今でも 観客に 大うけしていた メールの言葉が 何であるか わからなくて もやもやします。

来学期は 雪のソウルになりますが
さて どんな 学期になるか 
今から楽しみです。

  


Posted by アジュンマふきこ at 13:13Comments(0)韓国語学留学中

2013年11月16日

一人旅 半人前

一人で 旅行していると 
日本人のアジュンマが なぜに 一人で?
と 思うらしくて
何かと話しかけられてきます。



今回の写真は 本文とは関係なく 10月26日 逍遥山(ソヨサン)初登頂時の写真です。


相手方は
話が伝わるのがうれしいのか
へたくそな 韓国語が面白いのか。

アジュンマにしたって 
だんまり一人旅の最中だから 
機会が訪れたら 大いに しゃべりたいほうです。

で、 いきおい 話が盛り上がります。

大概は 日本語ができる人が
日本人と話したがる傾向がありますが、

今回は アンドンで 韓国の奥様風な方に話しかけられたのが
収穫でした。



1号線 右端の終点 ソヨサンの駅は 登山客で ひしめきあっていました。
リュックを背負った 完全装備の 姿が目立ちます


市場のアジュンマや 食堂のアジュンマとは
もう 定番の会話ですので きらくに 行けますが
家庭の主婦らしき方とは 初めてでした。

アンドンの家庭料理として 知られている ソンクッス=
大豆の粉がすこしまざったカルグッスらしい(そうめんのような麺)、
が食べたくて

それらしき食堂をさがして やっと 入った時のことです。・・・



山の入り口の方では 紅葉祝祭の最中で その中の一つ
 野辺送りの 再現をしていました。
独特な 語り風な歌は 伝統保存会の方たちによるものでした。


実はこの食堂にたどり着くまでに
とっても親切すぎて ちょっとこまったさんアジョッシが
3軒 4軒、 同行 探し回ってくれて  
やっと 連れていってもらった 最後の食堂だったのです。

が、 残念なことに その食堂でも やってませんでした。

アジョッシが 店の主人に 大声で 事情を 話したりするもんですから
アジュンマ 一人目立ちで みなの視線が集中(汗)
昼時って たくさん お客さんいるじゃないですか。(泣)



まだ 始まったばかりの 紅葉


それで 気の毒に思ったのか
隣に座っていた奥さんが いろいろ話しかけてきてくれて
時間があったら 午後家に来ませんか?
って 言うんです。
もうびっくりですよね。

簡単にできるので ぜひ食べさせたい、 ですって!!





突然降ってわいた話に 頭が ついていくのがやっとでした。

作り話的な 旅行記でも
こうまで うまい話はないと思いませんか?



結構急激な坂が続く 険しい山(アジュンマにとっては)です。
たくさん人がぞろぞろ 登るので 勢いでついていきましたが 
高所の怖いアジュンマとしては 息切れと重なって 死ぬ思いでした。
一応記念写真も撮りましたが なにせ 人、 人、 人 
韓国の 登山ブーム 実感できました。


聞くところによると
大豆の粉を 3割ぐらい混ぜて作るんだそうですが
簡単にできるところを見ると 「すいとん」の麺風なものなのかな
ともおもいますが、
とっても気になりますよね。
食べたいですよね。

だし汁は それこそ 家庭の味だというんです。
じゃこだけもあれば 肉もあれもこれも入れて 味クータなものもある、
であれば
なおのこと 一から 作るところ 全部 見てみたいですよね。



たったの 440M と言わないでください。 
初めて 山頂に登った! 記念の山です。


今回の旅、 じつは 100%風来坊一人旅じゃなくて
それなりに ホテルを予約したりする 半計画性のある旅でした。
午後は 慶州(キョンジュ)に行く予定が入っています。

なにせ はじめての一人旅、
まだまだ 予定を 変更する 決断力がありません。
一歩が 踏みこめないんですね。
結局アジュンマ イチョンに続いて 
せっかくのチャンスなのに また 
「引っ込み思案」様になってしまいました(泣)



はるか下の方から 登ってくる 小さな人影も 見えますでしょう。 結構 たいへんなんです。


友達と 一緒だったら ええぃっ! って すぐ乗っちゃうのに
一人だと からっきし 意気地なしなんです・・
 
一人旅 まだまだ半人前ですね。



こんな 景色を見ながらの 登山 最高です




ところで皆さんの 「完全武装リュック」 の中身の秘密がわかりました。
マッコリが 必ず付いた 行楽トシラク(弁当)だったのです。
こんな木の下で 飲むマッコリ最高でしょうね。
でも 山頂で 達成感満杯の アジュンマ、 マッコリがなくても 充分幸せでした。
 隣りのグループのアジョシが くれたおもちの味は 忘れられません




  


Posted by アジュンマふきこ at 22:23Comments(0)韓国語学留学中

2013年11月13日

アンドン(安東) ハフェマウル(河回村)

朝鮮王朝時代の 支配層は、 文官系と 武官系 両方合わせて 両班(ヤンバン)と言われていました。
アンドンは 半島の 南東(慶州より北側)に位置していて ヤンバン文化を 今も 色濃く残しているところで有名です。
俳優 リュウシウォンの 故郷であるとともに
イギイスの エリザベス女王も 訪れたというので 一躍 観光名所になりました。
やはり 一回は 行ってみたいところです。




S字型に蛇行している洛東江(ラクトンガン)。 そのS字の丸い中に囲まれた ハフェマウル。
漢字で 河回村と書きますが その通りですね。
村内は 部外者の車侵入禁止です。 もちろんバスも 村の入り口で ストップになります。
昔ながらの ヤンバン家屋が 大事に保存されていて 今も 人々が暮らしています。



静かすぎて 奇妙な感じになります




沖縄の ヒンプンに 似てますよね。




あちこちに 実をつけた花梨(かりん)の木が




ラクトンガンの 渡し船に乗って向こう岸の 山に登ると ハフェマウルが 一望できます。
まるで 時代劇の ワンシーンのよう。




向こうに見える山です。 てっぺんに たくさん人が見えます。
私は 遠くから 指をくわえてみているだけでした。


ひろばでは 韓国の シーソー遊びをやっているカップルがいました。




右と左に 別れて 飛びっこをします。




男の人が 勢いよく 飛び上がって・・・。
早くも 女の人は バランスを崩しています。




最後は こうなります。
めげずにやってましたが 同じでした。




タイムスリップした村 ハフェマウル






























  


Posted by アジュンマふきこ at 09:35Comments(0)韓国語学留学中

2013年11月11日

ナヌムの家 少しだけ ボランティア

ブログの更新が 遅れています(うわーん

高麗大から 移ってからというもの 何か 堰を切ったように あれこれ 出かけまくり

結果 時間が なくて じっくりする暇がありません。

今の学校が 意外と宿題が多すぎるので わずかな時間をやりくりして 何とかしている状態です。 




実は この写真 すっかり紅葉に包まれたナヌムの家です。
京畿道 広州に位置していますが ソウルから 1時間半ぐらいのところにあります。

一人旅の時に 立ち寄った縁で
隔週 週末 お手伝いに 行き始めています。

ご存知の方も いらっしゃると思いますが

日本軍性奴隷犠牲者「慰安婦」= 公式には このような表現を 使います。
ハルモニたちが 暮らしているところです。
同じ敷地に 歴史館が 併設されていて こちらの方は どなたでも 見ることができるようになっています。

http://www.nanum.org/jp/

現在 10名のハルモニたちが 暮らしていますが 平均年齢が もう 88歳になります。




ハルモニたちは 
日本政府は 自分たちが死んでいなくなるのを 待っているのではないか 
と 不信感を募らせています。




私のできることと言ったら 大したことは ありません。
話を聞いたり 食事の後片付けや 掃除 ちょっとした 事務の手伝いぐらいです。

たまに行って ちょっとやるぐらいなので
はっきり言って まったく 役に立っているとも 思えません。

ただ
韓国いる間は 少しでも できるんならば・・、
ただ、 自分のために! そんな 気持ちで やっています。



ワンちゃんもいます。 うちの チャンミと そっくり!







裏山を 歩いてみました。





季節外れの 花が ぽつん と咲いていました。
「無理やり つぼみのまま むしり取られた ハルモニたちの青春」 と重なって 
偶然にしても 胸が詰まりました。














   


Posted by アジュンマふきこ at 22:30Comments(1)韓国語学留学中

2013年11月06日

利川、ナヌムの家、安東河回村、慶州 一人旅

韓国に来て早や 2か月が過ぎました。
まいにち 勉強に追われているうちに
はたと 考えました。

これが 最後の 韓国生活。

今回は もっと 韓国生活を 楽しむはずだったのに
ちょっと違うんではないか・・・

それで 一大決心しました。  
原点に戻ることにして ついに 高麗大学を中退しましたびっくり!汗

で、 今は新しい所に かよっています。
私塾のような ところですが まあ厳しさ 3分の1、 勉強量はそれなりにたっぷり、
比較的 時間的余裕が取れる ということで 決めました。ニコ




ということで 今は 韓国、 紅葉の真っ盛り。

秋にふさわしい うら寂しさ、 これもまた 満喫しなくっちゃあと
意を決したついでに
 一人旅に 出かけて来ました。ぶーん

「一人旅」ハート 響きがいいでしょう?
実は 憧れにあこがれていた この響きがいい 一人旅を ついに やってみました。

結果
全然 寂しくありませんでした。
なんだかんだと 変な人に出会って、
そして はまりました。




イチョン(利川)は焼き物で 有名なところ。
わが陶芸の師が 韓国に 沖縄と同じ 登り窯があるから見てきなさいと…

前回行けなくて 今回は 必ず 何としてもの一念で 
それで 利川を
一人旅の 「幕開けの地」 としました。

そこで 作ったのが この間ブログに載せた どんぶりです。
写真が全部 パアになってしまって 見せられないのが残念ですが
 ホント 窯、 そっくりでした。
やはり韓国でも 登窯と漢字で書いて トゥンガマ(등가마)と言うんですね。


これは 沖縄の 登り窯


何か韓国では 第一線級の 超有名らしい
イウング氏(チョンパ陶芸研究所)のところを 訪れたが最後
かの有名な 先生と 話しが永遠に続いてしまって 最後は お茶まで いただいてしまいました。

田中角栄さんと 撮った写真とか、 金大中さん、 金泳三さんなど歴代大統領が 
アメリカの誰それ大統領、中国の誰それに送った ツボなどの写真や 同型の 焼き物などを いっぱい見てきました。
ホントは おそれ多い方と思いますが
説明までしてくださり 恐縮しきりでした。
日本語も独学でされていて 先生は 日本語、 私は韓国語 という奇妙な 会話でしたが汗

そこで、 たまたま同行してくださった 現地の 案内所の おばさんと 親しくなって
今晩うちに泊まっていってくださいと  しきりに誘われたのには 驚きでした。

一人旅には ハプニングが つきものとは言っても
こう早く 初日からでは 心の準備がなくて ついに 断ってしまいました。
相手の方も とても残念がって がっかりしていましたが 

私も 自分の勇気のなさにがっかり。

しかし これがきっかけとなり 「一人旅」に自信をもって 臨めるようになりました。




すみません、 宿題と テストの勉強がありますので 時間切れ。 きょうは ここまで。
続きは また 明日。



















  


Posted by アジュンマふきこ at 20:38Comments(0)韓国語学留学中

2013年10月29日

韓国語学留学中 コルトコルテックギター

今度の停留所は 「ポムン」、 次の停留所は 「高麗大」です。

という バスのアナウンス って まぎらわしくありませんか?

前半半分のアナウンスを 聞きのがして 
後半の 「高麗大」に つられて あわてて降りてしまうのです。

親切って言えば親切ですが 3回失敗して やっと 騙されなくなりました。
アジュンマじゃなくても 普通のしっかりした方でも
一回は 最低失敗しているそうです。
日本からいらした方、 親切すぎるバスのアナンサーには くれぐれも 気をつけましょう。



停留所ごとに このように詳しく 路線図が 書かれています


ほめついでに いうと 
「あと何分後に 何番のバスがきます」
という電光掲示板も 停留所ごとに しっかり 設置されています。 
近頃は すっかり バスファンです。

しかし バス運転の乱暴なこと。
急発進、 急停止は あたりまえ、 追い越し、 S字蛇行運転まで なんでもありの オンパレード。
たて揺れ、 よこゆれ、 回転揺れ 絶対に立っていられません。
おばあちゃんなど 椅子に座る前に 急発進されるため、 倒れこんだりしています。
その上、 もたもたしてしていると 大声で怒鳴られるし 生きた心地はしません。
それでも バスが 便利になってきました。 なれって恐ろしいですよね。

ただ 心から お願いしたいことは
バス運転手さんは 自分の運転する バスに 一回は乗ってほしいということです。




ということで バスに乗って 大学路のヘファまで行ってきました。

コウトコルテックの 解雇労働者による演劇 「9日間の ヘンリー」(原作 シェークスピアの ハムレット) を 見にいったのです。




コルトコルテックと言えば 知る人ぞ知る 世界的に有名な ギター制作会社のようですが
2007年に 100名以上が 一方的な解雇通告を受け、
その後 裁判や 国内工場閉鎖など 紆余曲折しながら ずっと 戦い続けています。
解雇労働者たちは
ギターは 作るだけで 弾いたことがないからと、 一から 演奏を習い始め、
今では ホンデのほうで( 仁川の方でもかな?) 毎週コンサートを開いているそうです。
支援の輪も広がり 様々な演奏グループが 参加しているとか。

そして今回
やってやれないことはないと、
大胆にも 演劇に挑戦したんだそうです。

なぜに シェークスピアか? 最後まで 謎の多い演劇でしたが
彼らの 一生懸命さと アットホームさと どこかおかしい感じが あって
会場からも クスクス、げらげらが 沸き起こったりしていました。
劇中 ドキュメンタリー風の 映像もありで  
この様な企画をする 韓国の人たちの 意欲的な姿と 戦い方の多様性、 発想の自由さに
ちょっと感動を覚えました。



出演者の皆さんと しっかり 記念撮影







  


Posted by アジュンマふきこ at 21:16Comments(0)韓国語学留学中

2013年10月27日

韓国語学留学中 イチョン(利川)で 焼き物

きのう 高校生のジェウォンと 日本語・韓国語の勉強会を 終えて 帰ってきたら
イチョン(利川)に行ったとき 作ってきた焼き物が 出来上がってきていました。ハート




小さめのどんぶりですが 意外と韓国には これといったどんぶり型の食器が ないので
 (韓国料理は どんぶりを 必要としていないからなのかなあ~)

前から ほしいと思っていた形を作ってきました。

青磁というには 色が淡いのですが これも 上品で なかなかいい感じですね。
線彫りをして そこに白化粧土を埋め込み 白色に模様が出るような技法で 絵付けをしました。
梅の花を満開にしたイメージで 描いてみましたが おもしろいできになりました。

この焼き物の土は ものすごく滑らかで きめが細かく 形成がスムーズで ちょっと驚き。♪赤




おっと 怖い目で見ていますね。

しばらく ブログお休みしていましたが 再開です。

このシーサーみたいなのは実は 沖縄じゃなくて カンソン美術館で 撮ったものです。

カンソン美術館は 私立美術館で、 個人が 所蔵する絵を 年に 2回 2週間だけ 公開しているのですが
丁度 運よく 秋の公開が 始まりました。

ムングンニョンちゃんが 出ている 「風の絵師」 というドラマを見たことがあるでしょうか?
朝鮮王朝の 宮廷画家 シンユンボク(申潤福) と キムホンド(金弘道)を 中心としたドラマですが
なんと この二人の絵を 生で見られるというので さっそく行ってきました。

想像したより 小さめでしたが 繊細な筆遣いとか スピード感 墨の濃淡など
どうやったら こんな 線を 書けるんだろうかと ただただ 感動です。

ただ、ものすごい人で 押すな押すなの大人気。
一か所に長くいることができなかったのが 残念でした。



10時の開館に合わせて9時過ぎから  もうこんな行列でした。




申潤福 作  生で見ましたよ!!




こちらは 金弘道作。 残念ながら これはありませんでした。
風俗画の方はなくて 風景画が 多かったです。
風俗画のタッチと まるきり違うのでちょっと驚きました。


  


Posted by アジュンマふきこ at 19:38Comments(0)韓国語学留学中

2013年10月06日

韓国語学留学中 薬令市場、京東市場で買い物

勉強の合間を縫って とうとう行ってきました。
キョンドンシジャン(京東市場)と、 その向かい側にある 薬令市場です。
バスに乗って 3つ目ぐらいの ホンノ近いところに あるのですが やっと行ってきました。

私の住んでいるところは 都の 東側、 東大門よりも もっと東側に位置していますが、
丁度 半島の東側から 都にはいる 入り口のようなところに位置しているために
昔から 漢方や 野菜などの 大きな 市場として栄えていた所が この市場なのです。



手前 右から 二つ目 ゴーヤの 乾燥したのも 立派な漢方でした


聞きしに勝る 広さでした。 
ものの本によると 東京ドームの 2倍の広さと ありましたが・・・・
バスから降りると 右側が ず~と 漢方の市場 「薬令市場」 が続きます。
漢方の 独特な匂いが 漂ってきて 歩いているだけでも いい気持ちです。



私は オミジャ(五味子)を買ってきました。 苦・甘・酸・塩・辛 の 5味


オミジャは 24時間 水出しをして飲むんだそうです。 
沸かしたら 効能が消えるかと不思議に思って 聞きましたら、
煮ると 酸味が強く出て 胃の悪い人には良くないんだそうです。 
なるほどね。

道向かいの キョンドンシジャン、 さらに 広い市場でした。 隣の駅まで つながっているんだそうです。
野菜や果物、 魚 肉 なんでもあります。 しかも 相当安いんです。







驚いたのは 犬の肉も 売っていることです。 真っ赤な 色をしてました。
思わず チャンミと ユファを思い出して 胸が詰まりました。
農家の人が ウシを売るときの気持ちが なんだか想像されて 
普段食べている肉もそうなのにと・・
自分勝手さに 身震いしました。




イチジク(無花果) 久しぶりに見ました。
 なんていうのか尋ねましたら 無花果の漢字をそのまま 韓国語読みするんですね。 
ムファガ (무화과) でした。





ナンピョンが 大好きな 栗ご飯を おもい出して 思わず 買ってしまいました。
作ってあげられないのが 残念。 
煮方を聞いたら 水はたっぷり入れずに 敷くぐらいにして 蒸し煮にするとおいしいんだそうです。20分程度




今日の買物は
結局 こんな感じです。

最後 市場には こんなものも売ってました。
買って どうするんですかね?




うようよと 動いていましたけれど これって 蚕ですよね?
















  


Posted by アジュンマふきこ at 19:44Comments(0)韓国語学留学中

2013年10月03日

韓国語学留学中  開天節で お休み

今日は 開天節(개천절) で 韓国は公休日、 檀君神話に基づいた 建国記念日に当たります。

実は 先週の 日曜日、 
急に寒くなって 夜中目が覚めました。
きっと それでだったんでしょうね。 風邪ひいてしまいました。アガ!(痛い!) 

さっそく 冬用掛け布団を 買ってきましたが
ついに熱を出して 火曜日休んでしまいました。
寒気と 熱と 汗が 交互に来て、
ちょっと大変しました。sosぶーん


カムジャタン。 牛肉の 背骨を 煮込んだもの。 アツアツで 風邪の時には 最高です。
近くの店なので 窓を開けると 毎日この匂いがしてくる。


ところで 先日 校内で 日本人おじさん 二人組を またまた 発見しました。
私の前を 年配の方が 日本語で話しながら歩いていらしたので
声をかけたら やはり 学生さんでした。

ひと方は ご夫婦で 韓国にいらしていて 韓国語を勉強していらっしゃるとのこと。。
ただし 別々の学校なんだそうです。
家でも 日本語会話、 学校でも 夫婦つるんで 日本語だと ちょっとまずいということらしいですが
なるほどですね。
初級で 頑張っていらっしゃいます。 すごいですよね。
もうひと方も 3か月のつもりが ちょっと延長して 続けていらっしゃるそうです。
2級? だと伺いましたが。

なんか すごいなあって 感じです。
年配の方が 定年後(?)
こうして 韓国で 一から 始めるなんて 感動です。ハート

といいつつ 私も はたから見たら 
えらいばあさんが 良くも頑張って まあまあ・・、 とうつっているのかもしれませんが(笑)汗



骨がこんな風になります。
長く煮込んでいるので 肉は 柔らかくて 骨からキレイに離れます。
 

などと 書いていたら
向かいあたりの建物から
でっかい 「 ハアクショ~ンンっ 」 が 聞こえてきました。
うちのナンピョンも 外に聞こえる 「はあくしょ~~んんっ」
をするので 思わず 苦笑いをしてしまいました。ニコニコ





   **** 抜粋記事 ****

10月3日の開天節(ケチョンジョル)は、檀君(タングン)神話に基づく韓国の建国記念日です。朝鮮民族の始祖とされている伝説上の人物、檀君が古朝鮮を建国したことを記念する日として1949年に制定されました。公休日として制定されたのは比較的最近ですが、韓国では古くから収穫の時期である10月を上月(サンダル)と呼び重視してきました。また、朝鮮末期頃からは檀君を信仰する大倧教(テジョンギョ)という教団が陰暦10月3日に開天節という名で祭礼儀式を行なうようになり、1919年上海に樹立された大韓民国臨時政府でも同日に記念行事を開催していました。檀君を民族的アイデンティティー・・・




  


Posted by アジュンマふきこ at 11:11Comments(2)韓国語学留学 高麗大 秋学期編

2013年09月28日

韓国語学留学中 パクジョンチョル(朴鐘哲)

以友高校には インターンシップ活動というものがあります。
自分が 師事したい先生や団体などを探し 計画を立て 直接現場にでかけ 体験をする活動です。
社会の 様々な分野を知り 将来の 進路を 探って行く活動です。

今日は知り合いの ジェウォン(以友高校2年生) に ついて行ってきました。




場所は ソウル駅のとなりにある 南営。
「民主烈士 朴鐘哲(パクジョンチョル)記念館」

もとは 悪名高い 「対共保安分室」があったところで 当時の建物が 今も残っています。
今は、 警察署の 管轄のようだが 人権協会など 入っていて 4階が 記念館になっています。
5階に 拷問室がずらりと並び その一室で かれは 水拷問を受けてなくなりました。







部屋は 小さく分かれていて 各部屋に 取り調べのイスと机が置かれ (床に 頑丈に固定)
そばに 水責め用の 浴室がある。
当時の間取りのまま リニューアルされているそうだ。



ある新聞記事から ちょっと抜粋します。

20年前の1987年1月14日、警察の南営洞(ナムヨンドン)対共保安分室で運動圏だったソウル大3年生が水拷問を受けて死んだ。
彼の死は中央日報の報道で初めて世に知られ、5共独裁に対する国民の怒りに火をつけた。
怒りは87年6月、市民抗争に爆発した。
韓国民主化20年の始発点は朴鐘哲(パク・ジョンチョル)だった。


彼の死は 韓国の軍事独裁体制を 崩壊に 導いた。 







当時のことは ニュースで 一大 関心をもって 見ていましたが
改めて 当時の韓国の熱気と それを 守っていこうとする人たちの 気概を 感ぜずにはいられませんでした。









  


Posted by アジュンマふきこ at 10:00Comments(3)韓国語学留学 高麗大 秋学期編

2013年09月23日

高麗大学語学留学 秋学期 泰安旅行

行き 当たりばったりの 1泊2日の 小旅行から もどってきました。

ソウル → 忠清南道礼山(礼唐貯水池、任存城壁址近くまで、 大興東軒、 すとく寺=수덕사、 韓国古建築博物館)→
→ 徳山温泉 (泊) →
→ 泰安(水産物市場)、 アンフン=안흥 遊覧船 → ソウル

忠南道の西側海岸に初めて行ってきました。




礼山は 三国時代の 百済地域に位置し、 任存城は 百済の最北端の 防衛線でした。
あまりにも深い山の上にあって タクシーでも 上に行くことができませんでした。
あきらめて いにしえの城跡を 感じて 戻りました。

礼山には 日帝時代に作ったという 端が見えないほどの 巨大な貯水池があり 
農業、 飲料水として 豊富な水をたたえていました。
周りは ずぅっと 田んぼが広がっていました。



少しづつ 黄金色に 色づき始めています
。 

昼食は 貯水池のほとりにある フナ料理。
フナの蒸し料理は この地域の 名物料理です。
淡水魚特有の臭みもなく 骨もやわらかく おいしいものでした。 
辛すぎもせず!!





この後  一路 タクシーに乗って 徳山の 山のほうに 向かいました。
途中 スドク寺 と 古建築博物館に 寄りました。
4~600年ごろの 三重の石塔がある スドク寺。
よくは わかりませんが 何か 有名らしくて 人がたくさんです。

感動したのは 古建築博物館。
国宝級の 古建築物を 研究 縮小再現して 展示しているところです。
このあいだ火災にあった南大門も 
この展示館を 私財をつぎ込んで 作った宮大工(重要無形文化財) デモクジャン氏が
縮小再現していたおかげで 再建できたそうです。
くぎを使わない 組み木の 技術には ただただ目を奪われます。





南大門の縮小模型



家の長方形型に 屋根を載せるところの 土台なようなところ。 
この技巧や飾りが 宮大工の 腕の見せ所だったのでしょう。


そして いよいよ 徳山温泉
新しい リゾート地として 開発が 進んでいました。
スパリゾートの 豪華ホテルもありましたが
私たちは 元祖 温泉発掘元の  古めかしい 元は 立派だったかもしれない ホテルに泊まりました。

久しぶりに 湯船に 浸かって ぐっすり眠れました。 韓国に来て初めての湯舟、やっぱりいいですねぇ。



ホテルから見える 伽耶の 山並みと 田園風景


そして、あくる日、いよいよ
目的地だった泰安に行ってきました。
海産物が豊富な 西海岸の 中心地。

実は ここの海岸 前に タンカーが 事故を起こして 原油が流れ着いた あの海岸だったことが わかりました。
原油にまみれた 鳥の映像を 思い出した方も いらっしゃるでしょう。
今は すっかりきれいになっています。
相当な人が ボランティアに 繰り出したおかげだそうです。



遊覧船に乗りました。







昼ごはんは もちろん お目当ての 海産物料理



ヒラメ




コッケ=ワタリガニ 




ウロッ (クロソイ) これが 最高級魚という タクシー運転技師さんの おすすめの言葉通り 食べましたょ。
黒くて 口がでかくて 底に いる魚という説明通りでした。


そしてこんな運命になりました。



ヒラメの かみごたえよりも かみごたえがあって さらに甘みがあるのが 人気の秘密なんでしょうね。
おいしかったですハート 


驚いたのは ぱんちゃん(おかず)の豪華なこと。




くわしく見ると ホヤ刺身 牡蠣のむき身 なんとか貝の蒸し物などなど







続いて 出てきたのが クロッの 蒸し料理
これもまた 美味





最後は アラの メウンタン。

おなかいっぱいで 食べきれません。 
ものすごくだしが取れていて 残すのがもったいないんですが
ほんと もう 入りませんでした。ふぅ~


結局 目の向くような値段でしたが 贅沢も するときにはしておかなくっちゃ、 の気分でした。




コスモスが満開でした。
山と海を 同時に楽しめた、 そして 食べて飲んだ 最高の 秋夕連休の 小旅行でした音符オレンジ












  


Posted by アジュンマふきこ at 00:03Comments(0)

2013年09月19日

高麗大学語学留学 秋学期 15夜

チュソク(秋夕)で さすがにあちこちの店が閉まっています。
銀行も閉まっていて 電気料と ガス代の支払いは 機械で 振り込みました。

こちらの合理的な仕組みには 感心します。
振込の時は 自分の名前を 打ち込まなくていいんです。
請求書に 振り込みの金融機関別に 数字が いっぱい書かれていて
私は はな銀行から振り込んだので その数字を 打ち込むだけでいいのです。
それが いつの間にか 私の番号になっているらしいんです。




というか この部屋についているメーター番号なのかもしれませんが。
滞納すれば 電気、ガスを止めればいいだけだから 
誰がそこに住んでても
かまわない、 ということなのか・・・・
(だとしたら 銀行ごとに メータ番号が違う、 というのも なんだか 理解不能・・・)




あまりにも暑くて 外に散歩に行ってきました。
この辺りは 食堂街と コシウォン(一人住まいの小さい部屋) 密集地なので、
いつも騒がしく 汚いのと臭いのとで 散歩できる街じゃありません。

向かいの大学構内に行ってきました。

涼しい風が吹いていて ホッとしました。

雲ひとつない空に 満月が浮かんでました。












  


Posted by アジュンマふきこ at 20:50Comments(0)韓国語学留学 高麗大 秋学期編

2013年09月18日

高麗大学語学留学 秋学期 チュソク(お盆)始まりました。

韓国にも お盆があります。
ちょっと日にちが 異なりますが。

旧暦の 8月14~16日でやります。



ナムサン公園にて


旧暦 8月15日 といえば
中秋の名月ですね。
1年で 一番大きな月がでて 夜を 明るく照らすとき。
沖縄では この夜は 外に出て 「15夜」をします。

東風平の 15夜祭りは ホント 昔の村祭り そのもので おもしろいですよ。
棒術や 獅子舞、 舞踊、 ちょっとした芝居とか。
学校も この日に向けて 速引けしたりするんです。



「紫式部」  ほんと 見事に紫でした。



さて韓国は この日を前後に 3日間 一斉休暇に入ります。
今週 18日 つまり今日から 始まりました。 
金曜日までなので  土日につながって
なんと うれしい 5連休。

なので アジュンマも 
今回は チュンチョンドー(忠清道) の 礼山 徳山温泉 泰安 に行ってこようかと思います。
スパゲティー店の アジュモニが 進めてくれました。



少しづつ 秋めいてきました。


西側海岸ですが、 大田、公州の 北西ぐらいにあります。
コッケ(ワタリガニ)の時期で 海産物がおいしいとか。
温泉にも いきたいし。
ということで みんなが ソウルに戻る時期を 利用して 逆に地方に行くのがベストかと、
金土曜の 1泊2日で 計画しました。
一人旅を覚悟しましたが
幸い 一緒に 行ってくれる人が 見つかりました。
(ラッキー)

さっそく 南部バスターミナルに行って チケット買いました。


南の故郷に向かう人で ごった返していました。


帰りは 行こう行こうと していても なかなか機会がなかった 
安重根記念館に とうとう 行ってきました。
ナムサン(南山)公園にあります。

伊藤博文を 暗殺した人と言えば わかりやすいでしょうか?

つい最近は サッカー競技場で
横断幕で お目にかかりましたね。
「反省のない国には 将来がない」 という文字と 一緒に。



観光名所 ナムサンタワーのある公園ですが、
今回初めて 会賢駅から 歩いて 行ってきました。

久しぶりに 緑の中を歩いて 気持ちが ほっと やすまりました。












ナムサン(南山)から、 景福宮を後ろで守っている北の山並みを 見る。




左手薬指 第一関節を 断指した12人の 血書
このあとも 長く 日帝の植民地時代が続く
 




  


Posted by アジュンマふきこ at 10:56Comments(2)韓国語学留学 高麗大 秋学期編