母の思い出 2

アジュンマふきこ

2011年10月20日 21:07

 私は 母と 喧嘩らしい喧嘩を したことがない。  母に ものすごく怒られた記憶も ほとんどない。  母は あまり 子供を怒る人ではなかったと思う。  そうだからといって、 親しげだった、 という訳でもない。  

 そんな 母の晩年、 母が 一番 苦しんでいたときに 母の 心に 寄り添えなかったことが、 今でも 心に ひっかかる。 思い出すたびに 胸が 締め付けられる。 
 本当に 自分は 親不孝もので 情の 薄い人間だったと 思う。





 韓国ドラマを よく 見るようになってから、 ずいぶん 私は 変わったような気がする。 

 何だったかの 韓国ドラマで、 親を失って ようやく 自分が 親不幸であることに 気が付いた 主人公が 号泣している、 というような 場面があった。 
その 泣いている主人公の 背中を 할머니 ( ハルモ二= おばあさん) が  そっと さすりながら つぶやいていた。 

「身近なひとが死んで 自分を 責めない人なんて どこにも いやしないよ、  み~んな 誰もが 自分を責めて そうやって 後悔するものなんだよ。」 
 
 まるで 할머니 (ハルモニ= おばあさん) 自身が そうであったかのように、  あるいは そうであった自身に 語りかけているかのように、  ちいさく つぶやきながら 背中を いつまでも さすっていた。





・・・・ 私だけじゃないんだ。 

 初めて 聞く言葉 だった。
なんだか 救われた気がして 心が 小さく 安心したことを 覚えている。
 
 母を思い出して 苦しくなったとき この 할머니 (ハルモ二 = おばあさん) の 言葉を 思い出す。



                     久しぶりの 雨でした

 
 母が 生きているときに 韓国ドラマに 出会っていれば よかったなぁ と つくづく思う。  きっと母も 韓国ドラマを好きになっていたと思う。 
 一緒に テレビの前で 泣いたり 笑ったりしながら 過ごしただろうな 。  そんな 時間を 母と 共有できなかったことが とても 残念だ。

 一旦 過ぎ去ってしまった時間は 取り戻すことも やり直すことも もう できない・・・ 




 
 その分 私は 家族に 優しくなったと思う。 人にやさしくなったと思う。 

 ようやく 肩の力が 抜けた気がする。 長い時間をかけて それでも 間に合って ここに たどり着けて よかったなと思う。 




        みかんの若葉を 食べるだけ食べて あとは ごらんのとおり ちゃっかり!

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