生きる
昨日 人の後をついて 読谷まで 行ってきた。
用事が済むまで 少し間があったので 車から降りて 道をさまよっていたら 不思議な庭にたどりついてしまった。
木に刻みつけられた 生きた顔が 入り口にあって、 私は そのまま 恐怖に駆られて 庭に 迷い込んでしまった。
地獄の使者が 呼んでいるようだった
金城実さんの作品群で 庭がうめつくされていた
2011年も やがて終わる。 絶え間なく流れている「時」の区切りを 一体 誰が考えたのだろう。
食べるものを栽培し、収穫して、人間が 生きのびるための「暦」が、 人間の歴史を刻み始めたとしたら、
人間は どれほどの辛酸と 絶望と 喜びと 希望を したたる血とともに 歴史に 刻み続けてきたことだろう。
3月11日を語れぬまま この年を 締めくくろうとしていた私が、
最後の最後に 金城実氏の作品に 向きあわなければならなかったのは
単なる 偶然だったのだろうか?
父が 亡くなっても 何も語れず 心が止まってしまった時のように 今また 私の 心は 止まったままだ。
生きることの 連続が 途切れるその時まで、 人はそれでも
生きる。
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来年 またお会いしましょう
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